「いつか自分のお店を持ちたい」と考えている人は多いのではないでしょうか。けれど、お店は開くだけでなく、お客様に選ばれ続けてこそ続いていくもの。どんなお客様が何を求めているのかを探り、コンセプトを考え、オープンしてからも磨き続ける。その裏側には、外からは見えない工夫と努力がたくさんあります。
今回注目したのは、1789年創業の老舗そば店・更科堀井が2025年11月に虎ノ門で開いた、「ねむくなりにくい」をテーマに午後の生産性を支える新ブランド「更科堀井 青」です。経営の視点からコンセプトを描いた専務取締役の堀井良光さんと、入社5年目で店長を任され、現場でそれを形にした山本陽一朗さんに、立ち上げの裏側を語っていただきました。
(左) 専務取締役・堀井良光さん/(右)更科堀井 青 店長・山本陽一朗さん
【株式会社更科堀井】 寛政元年(1789年)、信州の布を商っていた初代が、江戸・麻布永坂でそば屋を開いたのが始まり。そばの実の芯の部分だけを使って打つ真っ白な「さらしなそば」で知られ、自家製粉と手打ちの技を受け継ぎ、現在は麻布十番本店をはじめ都内に4店舗を展開しています。
■コンセプトづくり|お客様・実体験・そばの力を重ねる
堀井さん:
お店のコンセプトは、その場所のお客様が求めていること、自分自身が実感してきたこと、そしてそばという素材が持つ力、この3つが重なるところから生まれました。
出発点は、お客様です。本店のある麻布十番から虎ノ門までは車で10分ほどですが、地元の方や観光客、海外からのお客様まで幅広い方が訪れる麻布十番に対して、虎ノ門は完全なオフィス街。そこで、そばが働く方々の役に立てないか、午後も頑張る人を支えられるそばを出せないかと考えました。
そこに重なったのが、私自身の会社員時代の体験です。社内のランチを好きなように食べていたら、午後はねむくなり、気づけば太ってしまいました。食べるものが働く人のパフォーマンスに影響することを、ずっと実感していました。加えて、そばはもともと栄養が豊富で、江戸の頃には脚気という病気を防ぐ役割も担っていた作物です。その良さにもう一度光を当てたいと思いました。
こうして、更科堀井のそばづくりの良さは残しながら、このお店に来てくださるお客様に合わせて、十割そばを中心にメニューを組み立てました。グルテンフリーで、タンパク質や鉄分も豊富にし、栄養学の博士に監修していただいています。ただし大前提は、感動するほど美味しいことです。「あのメニューがどうしても食べたい」と思っていただけてはじめて、お客様はまた来てくださいます。その美味しさに体にうれしい働きが重なる、そのバランスを大事にしました。
山本さん:
店長としてコンセプトを聞いたとき、まず考えたのは、このお店に来てくださる方にとって何がいいのか、ということでした。昼休みの限られた時間に食べに来て、そのまま午後の仕事に戻っていく。そんな方に、どんなメニューなら喜んでいただけるのかを考えていきました。
将来は自分のお店を持ちたいと思っているからこそ、コンセプトは自分のやりたいことだけでなく、お客様と場所からも考えることが大切なのだと学びました。その条件の中で、どれだけ美味しいものを作れるか。そこに力を注ぐのが、現場の役目だと思っています。
■新店立ち上げ|専務の構想と若手店長の現場力を掛け合わせる
堀井さん:
私が得意なのは、コンセプトやアイデアを描くこと。山本は現場を知り尽くし、それを現実に落とし込むことができる。お互いの良さを削り合わないよう役割をはっきりさせた上で、「こうやりたい」「じゃあ、こうしましょう」と対話を重ねながら、形にしてきました。思い描くだけでも、目の前の作業を進めるだけでも、お店はできあがりません。その両方がかみ合ってはじめて、コンセプトはお店になっていきます。コンセプトを形にする上で大事にしたのは、こうしてそれぞれの得意を掛け合わせることでした。
当時、山本はまだ入社5年目でした。老舗というと、長い歴史のなかで、若手が大きな仕事を任されるまでには時間がかかると思われるかもしれません。でも、更科堀井はそうではありません。年次に関係なく、新しいことに挑戦していけるのが私たちの強みです。実際、彼がいなければ、このお店は開けませんでした。
山本さん:
現実に落とし込むというのは、思い描いたお店を、設備、手続き、メニュー、お金の面から具体にしていくことだと思います。厨房に必要な道具や機材、ビルの中に入るお店ならではの資格まで一から調べ、メニューに本当に需要があるのかも含めて、専務に相談しながら進めていきました。
そのなかで学んだのは、美味しさと価格のバランスです。良い食材を使いたくても、食べる方がそれにいくら出せるかという現実があります。企業としてお店をどう運営していくかまで考えてはじめて、お店は長く続いていくのだと思います。
■オープン後の改善|味とオペレーションを磨き続ける
堀井さん:
お客様の動き方ひとつとっても、実際に来ていただかないと分からないことがたくさんあり、2人でシミュレーションを重ねても、予想していなかったことは次々に出てきました。だからこそ、味もオペレーションも、毎日のように見直してきました。
大事なのは、変えることを恐れないことです。いいと思ったらまずやってみて、違えばやめればいい。物事を惰性にせず、放置しない。長く続くお店ほど、やり方が凝り固まっていると思われがちですが、更科堀井では、この姿勢を虎ノ門に限らず全店舗で大切にしています。
山本さん:
オープンは準備の終わりではなく、改善の始まりでした。たとえば鴨肉は、提供の直前に火を入れていましたが、忙しい時間帯に仕上がりのブレが出ることが分かり、事前に低温調理で仕込む方法に切り替えました。誰が作っても同じ品質を保てることが、お店を続けていく上で欠かせないからです。お客様からいただいたご意見もすぐに改善し、2回目のご来店で同じ方が「美味しくなっていた」と口コミに書いてくださったこともあります。変えたことがきちんとお客様に届き、いい方向に向かっていると実感できて、とてもうれしかったですね。
■伝統と挑戦|味を守りながら店の形を変える
堀井さん:
守り続けているのは、一にも二にも味です。私たちが心の底から胸を張れる味であること、そしてお客様に「美味しい」と言っていただけること。虎ノ門のお店は、ほかのお店と味わいが少し違いますが、麻布の本店から足を運んでくださったお客様に「更科堀井の新業態なら面白いね」と言っていただけることも多く、それが私たちの誇りです。
一方で、お店の形は場所に合わせて変えました。本店ではお酒を楽しみながら1時間ほど過ごされる方もいらっしゃるのに対し、オフィスビルでは最短15分ほどでお帰りになります。席をカウンターだけにし、手早くお出しできる流れを組み立てたのも、場所に即した工夫です。伝統は、時代やお客様に合わせて変わり続けることでつながってきたものです。のれんの根本は変えずに、形を変え続けていく。新しいお店も、その挑戦のひとつです。
山本さん:
変えずに続けているのは、本店や立川のお店で学んできた、少しでも美味しくなるポイントです。たとえば海老の天ぷらひとつ揚げるにしても、外から見れば同じに見えるかもしれませんが、これまで教わってきた小さな工夫を、見えないところで変わらず重ねています。その上で、新しく意識するようになったのが所作です。カウンター越しに厨房がすべて見えるので、お客様に安心して召し上がっていただけるよう、ひとつひとつの動きに、これまで以上に気を配っています。
■若手の成長|入社5年目で新店を任された理由と必要な力
堀井さん:
山本を店長に指名したのは、自分のやりたいことがはっきりしていること、先の見えない環境でも自分を保てる強さがあること、そして信頼できるパートナーであることからです。新しいお店を任される人に必要なのは、まず、自分が決めたところまでやり抜く力。そして、新しい環境に好奇心を持って飛び込み、知識を吸収し続ける力だと思います。やり抜く力は、家庭や部活、学校など、それぞれの経験のなかで育っていくものです。学生のうちから、その一つひとつを大切にしてほしいと思います。
山本さん:
現場を任される人に必要なのは、一緒に働くスタッフに「この人と一緒なら大丈夫」と思ってもらえる安心感だと思っています。私自身、その力は任される経験を重ねるなかで育ててきました。北海道の催事で料理の責任者を任され、売上もお客様の満足度もよい結果を出せたことで自信がつき、立川のお店の店長を経て、新しいお店を任されています。
料理を極めたいという気持ちが、途中で経営に向くこともあります。更科堀井には、その変化に合わせて仕事を任せてもらえる環境があり、私もそうして任せてもらってきた一人です。老舗だからと構えすぎずに、まずは一度、遊びに来てみてください。
