私たちが「和食店」ではなく「日本料理店」と名乗る理由
和食と日本料理は、何が違うのでしょうか。旬の食材、日本の器、日本の調理法。それだけなら、今は多くの店が当てはまります。私たちが大切にしているのは、料理だけで完結させず、その背景にある歳時記や茶道、書道、生け花、器やしつらえまで含めて、日本文化として捉えることです。同じ食材を扱っても、その背景を知ることで料理の表現は変わってきます。日本の食材も、器も、調理法も、今では世界中の店が使っていて、何が日本ならではなのかは見えにくくなりました。それでも変わらずに、この国で長く受け継がれてきたものがあります。私たちが「日本の再発見」を掲げているのは、そこに目を向けたいからです。
料理を作るだけなら、文化は要らないのかもしれません。それでも私たちが学び続けているのは、日本料理が周りのあらゆることの上に成り立っているから。茶道で身につけた所作も、書道で養った余白の感覚も、生け花で覚えた季節の扱いも、一皿の上に表れるのです。
手間のかかる料理を、あえて続ける
八寸は、日本料理の花と言われます。季節感、技術、器の配置、盛り込み。基本のすべてが詰まっていて、分解すればどれも一品料理になるようなものばかりです。花の扱いが分からなければ組めませんし、器を選ぶには格の考え方も要ります。
今、八寸を出す店は多くありませんし、手間をかけない料理が好まれる時代でもあります。それでも私たちが続けているのは、長く残ってきたものには、残ってきただけの理由があるからです。おせちも、炊き込みご飯も同じです。長く残ってきた料理を、ちゃんと作れる料理人になってほしいと思っています。
そうして、幅広い引き出しを学びながら、カウンターでお客様の反応を直接受け取れるのが、私たちの店です。
受け取ったものを、受け継いでいく
茶道も書道も生け花も、教わったことは、すべて誰かから受け取ったものです。それを自分のところで止めてしまえば、そこで終わります。だから私たちは、次の世代へ渡す場をつくることにしました。
休日に開いている稽古場が、その場です。一般の方も通う教室で、社員は費用の負担なく学べます。必ず来なさい、というものではありません。お茶だけ、書道だけでも構いません。それでも、八寸に生ける花の意味が分かる、掛け軸がなぜこの時期に掛かるのかが分かる。日々の仕事の見え方が確かに変わっていきます。
学びの場は、稽古場だけではありません。古美術展では、大将から器の見方を教えてもらえますし、産地の生産者を訪ねることもあります。こうした機会が、日々の仕事に返ってくるのです。
学びたい人には、惜しまず教える
受け継ぐには、それなりの修練が要ります。ハードルを下げすぎれば、大切なものは渡せません。かといって上げすぎれば、受け継ぐ人がいなくなります。そのあいだを探りながら、次の世代を育てています。
だからこそ、教えられることはすべて教えます。稽古場も、店の外へ出る機会も、そのために用意しているものです。今、何ができるかは問いません。知らないことを、知りたいと思えるかどうかです。
八寸を組める人も、おせちを作れる人も、少しずつ減っていますが、私たちはそれを残していきたいと考えています。同じ思いで仲間になってくれる人には、持っているものをすべて渡します。その一歩を、私たちと踏み出してみませんか。
