middle オーナーシェフ
藤尾康浩(ふじおやすひろ)氏
1987年 大阪府吹田市生まれ。高校1年生からイギリスに留学。パリの大学在学中にレストラン「パッサージュ53」での研修などを経験し、料理の道へ進むことを決意。大学卒業後、南仏のグランメゾン「ミラジュール」で働いたあと、2012年12月に帰国。大阪の「ラ シーム」に入って約7年修業し、退職して京都の日本料理店「木山」へ。2021年10月に「middle」を独立開業した。
「ラ シーム」時代にはスーシェフとして料理のコンペに出場。2016年、「RED U-35」ゴールドエッグ受賞、2018年に国際コンクール「サンペレグリノ ヤングシェフ」で日本人初優勝を果たしている。
藤尾康浩(ふじおやすひろ)氏
1987年 大阪府吹田市生まれ。高校1年生からイギリスに留学。パリの大学在学中にレストラン「パッサージュ53」での研修などを経験し、料理の道へ進むことを決意。大学卒業後、南仏のグランメゾン「ミラジュール」で働いたあと、2012年12月に帰国。大阪の「ラ シーム」に入って約7年修業し、退職して京都の日本料理店「木山」へ。2021年10月に「middle」を独立開業した。
「ラ シーム」時代にはスーシェフとして料理のコンペに出場。2016年、「RED U-35」ゴールドエッグ受賞、2018年に国際コンクール「サンペレグリノ ヤングシェフ」で日本人初優勝を果たしている。
フランス留学中に料理の世界に魅かれ
出会いにも恵まれながら日仏の名店で修業
京都・下鴨の北大路橋東詰に2021年10月オープンした「middle」。鴨川の景色を望む好ロケーション、季節の選りすぐりの食材を駆使した独創性あふれる料理が注目を集めるフレンチレストランです。オーナーシェフの藤尾康浩さんは、海外での生活が長く、料理人としてのスタートもフランスからでした。大学卒業まではビジネスマン志望だったという藤尾さんが、料理人になった経緯や独立までの道のり、料理人としての思い、今後の展望などを伺います。
イギリスに長く行かれていたんですね。料理との接点はいつから?
パリの大学に編入し、料理を作る楽しさに目覚め始める
中学3年までは大阪にいて、高1からイギリスに留学しました。通っていた中学にあまりなじめなくて、そこから出たいという気持ちがあったので。イギリスには 6年いて、大学の途中でパリの大学へ編入しました。でも、その頃はまだ料理との接点は全然なかったです。昔から普通に就職してビジネスマンとしてやっていきたいと漠然と思っていて、大学も財務系を専攻していました。
料理との出合いは、パリに移住してしばらくしてから。実はパリの大学へ移ったのは、イギリスの大学で退学になったからなんです。向こうの大学は厳しくて、一教科でもテストに合格しないともう1年やり直さないといけないんですね。結局 2回留年して退学になってしまい、親から怒られて。両親はちょうどそのタイミングでパリへの転勤が決まり、お前はもう親の元で暮らさないとだめだ、みたいな感じになって(笑)。それでパリに行って、両親と暮らし始めたんです。
共働きだったため僕が食事を担当する機会が増え、初めて人のために料理を作ることになったのですが、一人のときは簡単なものを作るだけだったのが、喜ばれると次も頑張ろうとなって、いろいろ凝ったものを作り始めるようになりました。僕は末っ子で、今まで家族に何か貢献しているということをあまり感じられなかったので、そこで喜んでもらえたことがすごく大きかったんですね。
アルバイトで初めて調理を経験し、二つ星レストランの門を叩く
カフェでアルバイトを始めたのは、ちょうどその頃でした。「ローズ・ベーカリー」という、オーガニック素材を使った総菜、ケーキなどを扱うロンドン発祥のお店で、なぜか調理を任されるようになって。初めて調理をしてお金をもらう経験をして、純粋に楽しかったですね。
そこで半年勤めたあと、もう少し本格的に料理をやりたくなり、2011年の夏休みに「パッサージュ53」というレストランの門を叩きました。日本人で初めてパリで二つ星をとった佐藤シェフのお店で、2回食べに行って感動し、働かせてくださいと手紙を渡して。そして無給ならということで3ヶ月間研修のかたちで受け入れてもらいました。当時、なぜか料理に対して変な自信があった僕は、そのお店に入っていきなりすべてを否定されたような感覚になりました(笑)。でも、楽しいだけじゃないしんどさも経験できましたし、やっぱり皆さん、仕事に対して本当にプロフェッショナルで集中力が高くて。そういう現場で、アドレナリンが自分の中から湧き出るのを生まれて初めて感じて、本当に生きている実感がわきました。
その体験が忘れられなかったんですね。まだビジネスマンになることも頭にあって、アメリカのボストンまで行って就活もしたのですが、面接で志望理由などを聞かれても、自分の言葉でしゃべっていないような気がして。それが、料理に対しては本当にやりたいという心が動いたので、料理人になろうと決意したんです。
それから南仏のレストランへ行かれた。
料理人になることを決め、南仏の二つ星レストランで修業
そうです。大学卒業後、何もつてがなかったので、「ベストフィフティ」というレストランランキングの中から、ヨーロッパでランクインしてる店すべてに働かせてくださいとメールして。そこで唯一返事があったのが「ミラジュール」でした。当時、二つ星の高級レストランで、マントンという地中海沿いの都市の、少し歩けばイタリアという場所にありました。そこでは季節労働者のような感じで給料をもらいながら働かせてもらいました。
このときまだ料理を始めてから1年にも満たず、右も左もわからない状態だったのですが、何も知らない分、自分は結構いける、みたいな感覚があったと思います(笑)。しかも、お店では料理人が不足していて、また日本人は信用されていたので、日本人というだけで重要なポジションに配置されていました。
先輩料理人からのアドバイスが大きな転機に
当時、二番手の方は神崎さんという日本人女性だったのですが、僕は彼女からいろいろ教わったり、叱られたりしていて。一度しんどくて辞めたくなったときも、「しんどいのは成長している証拠だから、続けなさい」と彼女に言われて続けることにしました。それが、半年経って、彼女から一度日本に帰ってみてはどうかと言われたんですね。なぜかというと、フランスでは日本人というだけで仕事ができて、信頼されるけれども、それは過去の日本人料理人の功績のおかげであると。あなたもこちらで働きたいのなら、日本人としてしっかり調理技術を身に付けていないとだめだから、一度日本に帰ってちゃんとした料理人になってから来たほうがいいと、アドバイスをいただいて。それがきっかけで、2012年12月に日本へ帰国したんです。
大阪に帰ってきた翌日に「ラ シーム」へ食べに行き、働きたいと言いました。お店のことは帰国前に情報収集していて、オーナーの髙田シェフとつながりのあるフランスの知人の口添えもあったので。人は足りているということで、まずは研修生というかたちで入ったんですけど、いつの間にか働いていましたね(笑)。
お店に入られて、いかがでしたか?
大阪に帰ってきた翌日に「ラ シーム」へ食べに行き、働きたいと言いました。お店のことは帰国前に情報収集していて、オーナーの髙田シェフとつながりのあるフランスの知人の口添えもあったので。人は足りているということで、まずは研修生というかたちで入ったんですけど、いつの間にか働いていましたね(笑)。
お店に入られて、いかがでしたか?
大阪の名フレンチで、料理の基礎を学ぶ
まだまだ基本も何もできていないなということに気づきました。小さな店だったので、シェフがいて、年下の先輩2人と僕がサポートするようなかたちで、最初からいろいろさせてもらうんですが、シェフから怒られることが多かったですね。ただ、自分ができていないから怒られているというのはわかっていたので、もっと怒ってくれ、くらいの気持ちでいました。半年ほど経つと、シェフの考えがある程度わかってきて、自分がそれに達していないこともわかってくるので、逆に怒られないときのほうが怖いぐらいでした。
3年目くらいに年上の先輩が入ってきて、シェフがやっていた仕事を任されていたんですが、数ヶ月で辞めてしまって。それで運良くというか、僕がそのポジションを務めることになり、料理を考えるのも営業も任されるようになりました。
料理の腕を磨くためにどんなことをされましたか?
3年目くらいに年上の先輩が入ってきて、シェフがやっていた仕事を任されていたんですが、数ヶ月で辞めてしまって。それで運良くというか、僕がそのポジションを務めることになり、料理を考えるのも営業も任されるようになりました。
料理の腕を磨くためにどんなことをされましたか?
賄いで鍛えられた料理の腕
「ラ シーム」では賄いに関してわりと自由だったんですよ。食材も大体自分で決めて注文することが許されていたので、僕もかなり力を入れて毎日いろんな料理を作っていました。シェフもきちんとしたものが作れてさえいれば、そんなに言わなかったですし。賄いは短い時間で仕上げなければいけないので、いかにうまく段取りをしておいしいものを作っていけるかが大事。それに、自分がゼロから100まで関わって、直接フィードバックをもらえるのは賄いしかなかったので、すごく勉強になり、自信にもつながりましたね。
賄いで料理の腕を評価されることはありますか?
それはありますね。その人の味のつけ方やセンスというものが全部表われます。シェフもそれで判断しておられたと思いますし。やっぱり心意気というものがすごく表われるから、やっつけで作ったものはすぐに見透かされてしまいます。
僕も賄いのために本を読むなど準備していましたが、一番鍛えられたのは、「シェフの好きなものを作る」ことを意識してやったことでした。シェフの好みをどれだけくみ取り、シェフが好きそうなものを作れるかという。普段の営業でどんな料理を作るかということにもつながりますし、ひいては食べる人のことを考えるということになるので。そこはすごく鍛えられたと思います。
「ラシーム」でシェフから学ばれたことは?
賄いで料理の腕を評価されることはありますか?
それはありますね。その人の味のつけ方やセンスというものが全部表われます。シェフもそれで判断しておられたと思いますし。やっぱり心意気というものがすごく表われるから、やっつけで作ったものはすぐに見透かされてしまいます。
僕も賄いのために本を読むなど準備していましたが、一番鍛えられたのは、「シェフの好きなものを作る」ことを意識してやったことでした。シェフの好みをどれだけくみ取り、シェフが好きそうなものを作れるかという。普段の営業でどんな料理を作るかということにもつながりますし、ひいては食べる人のことを考えるということになるので。そこはすごく鍛えられたと思います。
「ラシーム」でシェフから学ばれたことは?
自分の裁量ですべてを行っていく力を養う
髙田シェフに関して本当にすごいなと思うのは、弟子を一度自由にさせるところ。自分たちで考えてやらせて、うまいことできたら何も言わない。きちんとできていなければ怒るところは怒り、アドバイスするというのはありますが、基本的には「自分たちで考えて」というスタンス。自分が店の主人であるかのように、メニュー作りはもちろん、お店に関わるすべてのことを自分事と考え、行動しないといけない状況下にあったので、それが本当にためになりました。
あとは、高田さんの料理の自由さ。きちんとした技術がありながらも、発想が本当にぶっ飛ぶくらい自由だったので、僕もその影響を今でも受けています。
後半へ続く
Middle
京都市左京区下鴨上河原町5-3
https://middle.co.jp/
あとは、高田さんの料理の自由さ。きちんとした技術がありながらも、発想が本当にぶっ飛ぶくらい自由だったので、僕もその影響を今でも受けています。
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京都市左京区下鴨上河原町5-3
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