京都で代々料亭を営む家系に生まれた「生粋の料理人」ながらも、バスプロを目指して渡米。
そこで再び料理の世界を目指してニューヨークの精進料理店に入って以降、飲食店のプロデュースや食の地域創生事業など、
飲食業界でも異色のキャリアを築いてきた中東篤志氏。
彼がこれまで挑戦してきた様々な経験を通じて、これから飲食業界を目指す若者に対して心強いメッセージをいただきました。
中東篤志氏
(プロフィール)
京都市出身。代々料亭を営む家系に生まれ、12歳から「草喰なかひがし」主人で父である中東久雄の元で料理を学び始める。
高校卒業後、渡米して23歳から料理の道を本格的に目指してニューヨークの精進料理店『嘉日』に就職。
29歳の時にカリナリ―ディレクターとしてアメリカ・日本両国で会社の設立して以降、国内外問わず飲食店プロデュースやコンサルティング、
食の地域創生事業や日本食や日本文化をテーマにしたイベント企画運営等を手がける。
また2019年には自社運営の飲食店『そ/s/kawahigashi』を京都に開店した。
更に今年は福井県小浜市と京都市にて飲食店を開業予定。
・これまでのキャリアの変遷
―――――――――中東さんは先祖代々料亭を営む家系に生まれましたが、子供の頃から料理人を目指していたのでしょうか?
【お客さんが食べて感動する姿を見て「面白いな」と感じるも、バスプロを目指す】
物心ついた時から父の店に行っていましたし、いつも遊んでいる部屋から調理場も見えたので、幼いころから料理は身近な存在でした。
ただ調理場を見ていると毎日厳しい声が飛んでいますし、常に緊張感の高い板場の人を見るという、子どもから見ると「怖い映画」そのもの(笑)。
それもあってか小学生当時、自分にとって「家での料理=楽しいもの」「仕事でする料理=厳しいもの」という、
相反するイメージを持っていました。しかし、その中で少しずつ「食に関わる仕事をしたい」と思うようになりました。
調理場でお皿洗いなどを手伝いながら垣間見える、お客さんと喋りながら調理する父の姿。
そして、食べながらお客さんが感動している姿。
その光景を見て「料理って面白そう」と思ったんですね。
ところが、その後中学生になってから覚えた釣りに興味が移り、将来日本でバスプロ(釣りのプロ)になりたいと思ったことで、大きく方針転換することに(笑)。
周りから「バスプロを目指すならアメリカに行け」とアドバイスされたこともあり、高校3年間でお金を貯めて、卒業と同時に渡米しました。
・ご自身が今のキャリアを選んだ理由
―――――――――渡米後、当初目標にしていたバスプロではなく、再び料理の道に進むことになりますが、そのきっかけや理由は何だったのでしょうか?
【英語では伝えられない、料理だからこそ伝えられる魅力を知る】
当時住んでいたバージニア州は田舎でレストランなどは少なく、まして和食を食べるところはほとんどありませんでした。
そうなると和食が恋しくなり、自分で和食を作るように。
周りの知人にも食べさせていたのですが、自分が作った料理をアメリカ人が喜んで食べてくれたんです。
「アメリカ人はハンバーガーなどを好んで食べている」というイメージがあったので、その時はとても驚きましたね。
また知り合いのおばさんから「庭で飼っている鶏で料理できる?」と頼まれたことがあり、その鶏を〆る所から、鶏すきを作ったこともありました。
その際、おばさんが「昔の食卓を思い出した」と涙を流して喜んでくれて…。
その時に「アメリカにも食の歴史があって、今から和食をやればこのおばさんのように料理人としての思いがしっかり伝わるかも」
と思ったことがきっかけで、アメリカで料理の道を探すことを決意しました。
その後タイミングよく「ニューヨークで精進料理をやらないか」と声をかけてもらい、調理場は料理長と私を含めた2名の計3名で2009年にお店をオープン。
料理人では私だけが英語を話せるため、お客さんに料理のことを説明する役割は基本的に私が対応したのですが、そこで重要なことに気づかされたのです。
それは「いくら英語で説明できても、料理の本質を知らないとお客さんに料理の魅力のすべてをきちんと伝えられない」ということ。
その時に料理人だけでなく、料理について伝えられる仕事っていいな、と思ったのが今の仕事につながっています。
・何が自分の原動力になったのか
――――――――2015年日本に帰国後、中東さんは「カリナリーディレクター」として会社を設立したり、ご自身のお店をオープンするなど、食の世界で国内外問わず幅広く活動されています。そうした活動の原動力はどこにあるのでしょうか?
【日本の食や文化に対して興味がうすい若い世代に、危機感を持ったこと】
会社設立や自分の店をオープンした大きな目的は、日本の食や文化が持つ魅力を、多くの人に発信して伝えていくことでしたが、
その背景にはある危機感がありました。
活動を進めていく中で、自分と同世代や下の若い世代たちが日本食をはじめ、お茶など日本の文化そのものに対して
あまり興味を持っていないことに気づき、驚きました。
「このままだと近い将来、日本人が日本食を食べなくなる時代が来るな」という危機感を抱くようになり、諸先輩方と
今のうちから国内外で日本食に関するあらゆる情報を発信していくことが重要だと。
その活動が巡り巡って仮に自分が死んだ後も、これまで種まきしたものが開花して日本食や文化が多くの人に見直されるようになれたらと思い、会社を立ち上げたのです。
会社では主にレストランの監修や食による地方創生活動等をメインとしていますが、自分の思いをもっと多くの人に共有するための育成が必要だと考え、
そのための場として自分の店も立ち上げました。
・壁に当たった時、その乗り越え方
――――――――食の世界で先進的な取り組みをされてきた中東さんは、これまで多くの壁にぶつかってきたと思いますが、どのように乗り越えてきたのでしょう?
【信頼して相談できる人がたくさん近くにいること。考えたら発信する大切さを知る】
アメリカで会社を設立した当初、誰からも注目されずに悩んでいました。
そのことをある人に相談した際「誰も来なくていいから、とりあえずイベントをしよう。そうすればきっと誰かが見てくれる」
とアドバイスしてくれて、早速「Sunday’s Gohan」というイベントを開催しましたが、結果はお客さんゼロ(笑)。
それが2回目の開催時には1人、3回目には4人と、回を重ねるごとに人が増えていったんです。
そのイベントで知りあった日本人の中で、お米を軸にトヨタのような大企業を作りたいという人がいて、
その人を通じて新しい仕事に結びついたこともありました。
このように何かアクションを起こしたら、それがやがて信頼できる多くの人をたくさんつくり、成果に結び付くことを実感しました。
そのため周りのスタッフにも「とりあえず考えていることを実践しなさい」と伝えていますし、
その後の行動を振り返ってみると「あれって無駄だったよな」と思うことが一つもなくて、必ず何かにつながっています。
そして今、昨年から続くコロナ禍でこの業界も厳しい状況です。
私自身、以前まで毎月海外に行っていましたが、十数年ぶりにずっと日本にとどまっています。
コロナ禍で予約が全然入らなくなった今だからこそ、僕たちが率先して「こんなことができるよ」と新しいアイデアを提案して、
多くの料理店が前を向けるようにすると共に、生産者を守ることもできる。
例えば私のお店である『そ/s/kawahigashi』のコの字カウンターは、お客様同士や店員が話しやすい「ライブ感」を求めて設計しました。
その設計を活かしてお店の様子をライブで配信する、というアイデアを考え早速実現しました。
今後は自分たちのノウハウをベースに、多くの料亭や料理屋さん自身がライブ配信等の新しいことを行うすそ野を広げ、新たな顧客獲得につなげていくお手伝いが出来ればと考えています。
・今後の展望
―――――――――今お話のあったコロナ禍という苦境の中、他にも新たな取組をされていると聞きました。今後の展望も含めて教えてください。
【お弁当プロジェクトにギャラリー開催。「源」をテーマに今後、食と音楽とのコラボも】
20年4月ごろ、医療従事者向けにお弁当を作るプロジェクトがすでに海外で動いていて、自分たちもやりたいと思っていました。
また少しでも経営に苦しむ料理店の力になりたい、そして生産者やその周りにいる業種を守りたいと考え、6月に1ヶ月間、
アメックスから協賛金をいただくことで1日150食を30日間、リレー形式でお弁当を作る取り組みにも他の有志と一緒にチャレンジしました。
こうした取り組みは料理人だけではなかなか動き出せないため、僕らが関わることで少しでも活動を後押しできたかなと思います。
他には消費需要が減少したことで生産資源の価格が下落し、安く買いたたかれている農水産物を活用した新たな商品開発をしたり、
地方創生を目的とした2店舗のお店のオープンにも参画しました。
京都国際写真展でのイベントとして、「そ/s/kawahigashi」の2Fをギャラリーにすることで、日本茶テイクアウトも行い、日本茶の魅力を伝えるようなことも行っています。
今後こうした異業種とのコラボ活動は積極的に取り組みたいと考えていますが、中でも音楽・アートとのコラボは面白くなりそうな予感がしています。
モノづくりに興味がある方は、食の面白さにも気づいてもらいやすいと思っていますし、食べる空間にとって音楽はとても大切。
ニューヨークのお店では坂本龍一さんが大の常連さんで、僕が抜けた後、お店でかけていた曲に対して「これは合わないよ」「この曲がおすすめ」といった
アドバイスをいただいていました。その後、それがニューヨークタイムズのニュースになって、最終的にSpotifyで配信されるほどになるなど、
とても面白い取り組みだと思いましたね。
先ほど紹介した京都国際写真展の仕事は「源」をテーマに、これまで考えなかった新たな視点で取り組むことで価値のある気づきが得られたので、
今後もこうした思いをベースに活動したいと考えています。
・次世代の若者へのメッセージ
―――――――――最後に、これから食の世界を目指す若者に向けて、メッセージをお願いします。
【自分で限界を決めない。人を直に楽しませる仕事にワクワク感を持ち、何事にもトライしてほしい】
最近20代前半の人たちと関わる機会が多いのですが、「自分ができることはここまで」と常に決めにかかる、つまり「自らの限界を決めている人」が多い印象を受けます。
よく言えば自ら目標を定めているといえますが、それが強すぎるあまり、少しでも目標から外れると「できなかった」と思ってしまう。
でも実際にチャレンジして自ら感じたものは、とても価値のあるものなので大切にしてほしいし、自ら限界を決めてほしくないですね。
また飲食業やサービス業は「人を直に楽しませてお金をもらう職業」であり、人の幸せの上にある仕事だからこそ、
誇りを持っていつまでも長く続けることができます。
だからこそ簡単に仕事をマスターできるものではないし、理解できるものでもない。
まずは少しずつ「わからないことを理解する喜び」を目標に、ワクワクしながら日々の仕事を通じて感じてほしい。
そのための修業期間として、たとえ安い給料で厳しい労働であっても、自ら楽しむ姿勢で何事にもトライしてほしいですね。
そうする事で毎日喜びを感じながら仕事を出来る日が必ず来ると思います。