ーー株式会社かめいあんじゅに入社した経緯を教えてください。
真鍋純:
小学校の頃から料理人になって自分のお店を出したいという思いがあり、調理師専門学校を卒業した1984年に弊社に入社しました。入社理由は弊社のスパゲティカルボナーラがずば抜けて美味しかったから。また、見たこともない現地そのままの料理を見て、これを作れるようになりたい!との一心でした。不良生徒だった私は専門学校の先生からは「かめいあんじゅは厳しいと聞いているが、お前ほんとに大丈夫か?」と心配されましたが、技術面でも経営面でも学ぶことが多いと聞き、入社を決めました。
最初はイタリアンの料理人として入社しましたが、店舗運営に関するさまざまな業務を経験し、27歳の時に初めて店長として店を任せていただくことになりました。これが、私が料理人からマネジメントや経営などの方へキャリアが変わったきっかけです。
ーー当時、大変だったことや辛かったことはありましたか。
真鍋純:
まず、1995年の阪神大震災が挙げられます。神戸のお店が地震で大きな被害を受け、スタッフが一人亡くなりました。ひとつの店舗、一人の社員のために、全員で助け合ったことを、今でも鮮明に覚えています。
地震後真っ先に自転車で大阪から神戸の店に向かい、全員を励まし、引っ張っていってくれた創業者を見た時に、30歳になり地元の愛媛に帰ろうかとグダグダ悩んで心配をかけていたことが恥ずかしくなり、「もう逃げません」と創業者に頭を下げて、会社をもっと盛り立てようと決意しました。
そして大変だったことといえば、やはりコロナ禍ですね。店舗が営業できず、営業できてもお客様がほとんどいらっしゃらない日が続きました。従業員さんも皆不安だったと思います。お金の準備をしっかりして、コロナの始まった早い段階で「これからも必ず給与を満額支給する」ことを全員に約束し、営業できない状況でも、腕を磨いてもらうために催事出店や研修に今まで通り働いてもらいました。
また、自分の仕事場ではないお店でやった事のない仕事を経験してもらいました。たとえば緊急事態宣言が出なかった奈良のパン屋さんに大阪からパンを作りに行き、買い物に出るのが難しい奈良の高齢者の方々の団地などへ、焼き立てのパンを持っていったこともありました。
お客様に喜ばれる仕事を継続したいとの想いでしたし、「お客様に喜んでいただく仕事」という原点を再確認した時期でもありました。お客様の来ないコロナ禍でしたが、反対に「未来の形に変える時間」をいただいたのだと考え方を改め、長く続けた2店舗を泣く泣く閉店し、コロナ明けの未来を見据えて3軒の新しいお店をオープン、大きな改装、移転などを複数店舗行いました。全従業員さんが自分たちの未来を創るために、本当にがんばってくれました。
真鍋純:
小学校の頃から料理人になって自分のお店を出したいという思いがあり、調理師専門学校を卒業した1984年に弊社に入社しました。入社理由は弊社のスパゲティカルボナーラがずば抜けて美味しかったから。また、見たこともない現地そのままの料理を見て、これを作れるようになりたい!との一心でした。不良生徒だった私は専門学校の先生からは「かめいあんじゅは厳しいと聞いているが、お前ほんとに大丈夫か?」と心配されましたが、技術面でも経営面でも学ぶことが多いと聞き、入社を決めました。
最初はイタリアンの料理人として入社しましたが、店舗運営に関するさまざまな業務を経験し、27歳の時に初めて店長として店を任せていただくことになりました。これが、私が料理人からマネジメントや経営などの方へキャリアが変わったきっかけです。
ーー当時、大変だったことや辛かったことはありましたか。
真鍋純:
まず、1995年の阪神大震災が挙げられます。神戸のお店が地震で大きな被害を受け、スタッフが一人亡くなりました。ひとつの店舗、一人の社員のために、全員で助け合ったことを、今でも鮮明に覚えています。
地震後真っ先に自転車で大阪から神戸の店に向かい、全員を励まし、引っ張っていってくれた創業者を見た時に、30歳になり地元の愛媛に帰ろうかとグダグダ悩んで心配をかけていたことが恥ずかしくなり、「もう逃げません」と創業者に頭を下げて、会社をもっと盛り立てようと決意しました。
そして大変だったことといえば、やはりコロナ禍ですね。店舗が営業できず、営業できてもお客様がほとんどいらっしゃらない日が続きました。従業員さんも皆不安だったと思います。お金の準備をしっかりして、コロナの始まった早い段階で「これからも必ず給与を満額支給する」ことを全員に約束し、営業できない状況でも、腕を磨いてもらうために催事出店や研修に今まで通り働いてもらいました。
また、自分の仕事場ではないお店でやった事のない仕事を経験してもらいました。たとえば緊急事態宣言が出なかった奈良のパン屋さんに大阪からパンを作りに行き、買い物に出るのが難しい奈良の高齢者の方々の団地などへ、焼き立てのパンを持っていったこともありました。
お客様に喜ばれる仕事を継続したいとの想いでしたし、「お客様に喜んでいただく仕事」という原点を再確認した時期でもありました。お客様の来ないコロナ禍でしたが、反対に「未来の形に変える時間」をいただいたのだと考え方を改め、長く続けた2店舗を泣く泣く閉店し、コロナ明けの未来を見据えて3軒の新しいお店をオープン、大きな改装、移転などを複数店舗行いました。全従業員さんが自分たちの未来を創るために、本当にがんばってくれました。
