16年の安定から居酒屋の社長へ 「やりたい」をやってみる独立の苦労と楽しさのすべて

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六三四グループ

2026/09/16

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料理人のキャリアには、さまざまな岐路と選択肢があります。自分の店を持つ人もいれば、一つの場所で経験を積む人もいて、その選択には「成功」も「失敗」もありません。

だからこそ、誰かが選んだ道をたどってみると、自分のこれからを考えるヒントが見えてきます。
 
今回は、世界進出を果たした人気焼き鳥店で16年間働き、順調なキャリアのさなかに、あえて独立の道を選んだ経営者にお話をうかがいました。
 

株式会社ウルトラ天神(六三四グループ)
代表取締役 森 公秀 さん
 
 

「糸島発、世界行きの列車に乗れ」


出身は福岡の糸島で、うなぎ屋を営む家で育ちました。高校生まではとくに目標もなく過ごし、卒業後は情報の専門学校に進学。理由は単純で、7割が女子だったからです (笑)。将来のことなんて、何も考えていませんでした。唯一夢中になっていたのが、高校時代から続けていた焼き鳥店のアルバイトで、学校の試験よりバイトを優先するくらい没頭していましたね。卒業間際になってもその情熱は衰えず、昼はうなぎ屋、夜は焼き鳥店で働くフリーター生活を選びました。
 
転機になったのは、そんなある日のこと。焼き鳥店の社長が、私たちにこう言ったんです。「これから天神に進出して、世界まで行く。糸島発、世界行きの列車に乗れ」って。かっこいいでしょ(笑)。田舎の小さな店なのに、本気で世界の話をする社長がとにかくカッコよくて、「乗ります!」と即答しました。21歳で天神(2号店)の店長になり、その後も東京、ロサンゼルス、ニューヨークなど、すべての新規出店を経験。店が世界へ広がっていく、その過程を最前線で駆け抜けた16年間でした。

 
 

料理が下手でも活躍できた理由


こうして話すと、すごい料理人みたいですが、実は私、料理人としては全然ダメだったんです。社長からも「お前は、料理はしなくていい。下手だから」って言われるくらい。なかなかでしょう(笑)。でもそのあとに「料理ができる人間を、まとめる方が向いている」って言われたんです。料理は得意な人に任せて、私はみんなが気持ちよく働けるチームをつくる。自分にはそういう役割があるんだと気づきました。
 
ロサンゼルスやニューヨークでは、現地のベテランシェフたちから、「英語も話せないお前に何ができるんだ」「日本へ帰れ!」と、散々反発されました。でも私は「みんなでいいチームをつくろうと思わなきゃ、店は繁盛しない。あなたがつくったおいしい料理だって、まずくなる。ホールもキッチンも関係ない。助け合うんだ!」って、バリバリの博多弁で答えて(笑)。最後には「ずっとここにいてくれ」と言われるくらい、一つのチームになることができました。
 
 

「人生が2つあったらいいのに」と本気で思った


だから、会社を辞めるのは簡単じゃなかったです。その会社のことが嫌になったわけではなく、むしろ、ずっと居たかった。一方で、後輩が独立するのを見て、羨ましく思うこともありました。本当に、人生が2つ欲しかったですね。
 
社長に独立の意思を伝えたときは、お互いに平静ではいられないほどでした。何度も引き止めてもらい、自分自身も揺れました。それくらい、簡単には手放せない16年間だったんです。でも、決めた以上は挑戦しようと、33歳のときに思い切って独立しました。

  

武器は「貯金と自信」。ところが……


独立するとき、私には武器がありました。「貯金と自信」です(笑)。18歳からずっと貯金していたので、店を持てるくらいの資金と、16年間繁盛店をつくってきた自負もあったんです。選んだ場所は、天神から近いけれど、当時は人通りがほとんどなかった渡辺通5丁目。でも、「場所なんて関係ない。いい接客をして、おいしい料理を出せば絶対に来てもらえる」と、自信満々で20坪ほどの店に勝負をかけました。



ところが、オープンしたら全然お客様が来ない。これは完全な誤算でした。最初の数カ月は赤字で、そのうちスタッフの給料を払うお金も厳しくなって、親にお金を借りて。あれだけ貯金して、自信満々で独立したのに、です。これが独立の現実でした。

 

「奥の手」なんてない、やってきたことがすべてだった


でも、そこで何か特別なことをしたわけではありません。元気に「いらっしゃいませ」と言う。おいしい料理を出して、来てくれた人に「また来たい」と思ってもらう。それをコツコツ続けるうちに、少しずつ常連さんが増えて、メディアにも取り上げてもらえるようになりました。結局、16年間やってきたことがすべてだったんです。1号店が軌道に乗ってからは、満席のときに近隣の別店舗をご案内できるよう、2号店、3号店も同じエリアに出店。スタッフや食材の連携もしやすく、店舗同士で支え合う今の仕組みをつくっていきました。



 

独立に早いも遅いもない、「そのとき」は自分で決める


早く独立するのがいいのか、長く一つの会社で働くのがいいのか。これは正解がないと思います。私の場合は16年間、勤めたからこそできた経験がたくさんありました。店長になり、新店を立ち上げ、東京にも海外にも行った。本を読むようになり、本気で自分を変えようと思えたからこそ、今の自分があります。
 
若いうちは、目の前の仕事にがむしゃらに取り組むことも大事です。うまくいかないことや失敗も含めて、一つひとつ乗り越えた経験が、やがて「自分ならできる」という自信につながります。そして、「今ならやれる」と思えるときが来たら、一歩踏み出せばいい。私もまだまだやりたいことがあります。一緒に、未来へつながる歩みを重ねていきましょう!



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本社:福岡県福岡市中央区渡辺通5-2-10

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