シャリを握って、ネタを乗せて出す。お鮨の仕事は「シンプル」に見える、と感じたことはありませんか?
でも実際は、そのたった一貫の裏側で、鮨職人はどれほどの思考や感覚を注いでいるのでしょうか。
今回はその答えを、すし匠四ツ谷本店で12年目を迎える鮨職人・田中潤さんに伺いました。シンプルさの向こうにある奥深い世界を、丁寧に解きほぐしていきます。
すし匠グループ 1989年、中澤圭二親方が東京にて開業した江戸前鮨の名店。 のれん分けにより全国に十数店舗を展開し、2016年からハワイ、2023年からニューヨーク、2025年から静岡・須走にある「強羅花壇富士」内にも出店している。
田中 潤(たなか じゅん)さん/すし匠 四ツ谷本店 鮨職人 2014年3月入社。辻調理師専門学校出身。2019年からの1年間はハワイのワイキキにある「Sushi Sho」に渡り、中澤親方のもとで研鑽。 現在は四ツ谷本店で、仕込み全般や若手の指導にもあたっている。
■ 一貫のお鮨を握るとき、何を大切にされているのですか?
技術の前に「心」だと、私は思っています。お鮨は、握りたてをお客様がその場で召し上がるもの。同じネタ、同じシャリを使っていても、誰が、どんな気持ちで握ったかによって、その想いが味に乗り、お客様の感じ方そのものが変わります。市販品と誰かが想いを込めて作ってくれた手料理が違うように。私はその一貫に「心」を込めるために、まずお客様一人一人を好きになるようにしています。お客様は何ヶ月も前から予約して、楽しみに待ってくださっています。だからこそ、予約帳を見ながら「明日はあのお客様が来てくれる、これを出してあげたい」と、その日を心待ちにするんです。相手を「好きになる」ことができるかどうか。そこに、仕事の質を決める第一歩があると思います。
■ お客様に合わせて、どこまで細かく変えていくのですか?
「おまかせ」は、私たちの中では「オーダーメイド」だと捉えています。常連のお客様の好みは予約帳を見れば思い出せますし、初めての方であっても、お話しする中でその方に合うネタや出し方を組み立てていきます。エビが苦手な方には別のネタに差し替え、日本酒を多く召し上がる方にはおつまみを厚めに。醤油の量から提供する順番まで、その一席のために変えていきます。シャリも、2種類を用意し、ネタに合わせて温度や握りの圧を細かく変える。シャリは湿度の高い梅雨時には水加減をグラム単位で調整します。これは数値化されたマニュアルではなく、長年シャリを切ってきた手の感覚です。だから「正解」はひとつもなく、毎日「明日はこうしてみよう」と考え続けています。目の前のお客様一人一人に合わせて工夫できるようになると、仕事の面白さは何倍にも広がっていきます。
■ 食材選びで、こだわっているのはどんな点ですか?
着眼点は、まず「旬のもの」であること。そして次に、「うちのシャリに合う魚」であることです。江戸前鮨はシャリが土台ですから、いくら素材が立派でも、シャリとネタが口の中で一体になって解れていくバランスを欠いては成り立ちません。大きすぎても小さすぎても駄目で、形やサイズ感、脂の乗り具合まで、うちのお店に合うものを選びます。魚は仲買さんに選んでいただくこともよくあります。長年の付き合いの中で、うちの好みを誰よりも分かってくださっているからです。だからこそ毎日、誰かしらが市場に顔を出し、ご挨拶をして、コミュニケーションのキャッチボールを欠かしません。仕入れとは、人と人との信頼関係そのもの。どんな仕事でも、こうした毎日の小さな積み重ねが、いい仕事を支えてくれるはずです。
■ 仕込みと、その先の一貫に込めているこだわりを教えてください。
仕込みは、最終形である一貫のお鮨を見据えて行います。魚は熱に弱いので、常に冷たい状態で、スピーディーかつ綺麗に。「綺麗さ」というのは、私が若手にも口酸っぱく伝えていることです。お鮨は手で握り、手で差し出し、お客様も手や箸で召し上がる。清潔感がなければ成り立ちません。さらに大切にしているのが、見た目の美しさ。目で見てうっとりするような完成形を目指して、一貫一貫を整えていきます。漁師さんが獲り、仲買さんが選び、私たちが手当てして握る。一貫の中には、いくつものバトンが繋がっているんです。だからこそ、一貫でも置き去りにされて冷めてしまうと寂しい。すべてのネタが大事で、すべてに思いを込めて出しているんです。
■ 続けてきたからこそ、見えてきたものはありますか?
12年続けてきて実感するのは、この仕事の本当の面白さは、続けた先にしか見えてこないということです。同じ魚を扱っていても、季節や個体差でまったく違う顔を見せる。その微妙な違いに気づけるようになったとき、初めて「あ、この仕事の深さはここか」とわかる瞬間があります。ここまで歯を食いしばって続けてこられたのは、中澤親方をはじめ、いい先輩や仲間に恵まれたからです。良い人に巡り会えたからこそ、今の自分がある。中澤親方が「伝授伝承」と語られてきたように、私が学んできたものを、次は若手へと渡していく番だと感じています。皆さんも、進んだ道が思ったより地味に見える瞬間があるかもしれません。でも、続けた先にしか見えない景色は必ずあります。まずは、目の前の一つひとつに向き合ってみてほしいです。
■ 最後に、これから鮨職人を目指す学生へメッセージをお願いします。
怖がらずに、まずは鮨の世界に第一歩を踏み出してほしいと思います。最初は誰もが何もできないところから始まります。技術がないことを気にする必要はまったくありません。お鮨は、職人一人が完成させるものではなく、朝早くから仕込みをする仲間、ホールで接客する仲間、それぞれの仕事が積み重なって、ようやく一貫になります。私たちはワンチームで、一貫を作っているんです。だからこそ、お客様の目の前で「美味しい」と笑顔で言っていただける瞬間は、何ものにも代えがたい醍醐味です。本気で鮨職人になりたい、将来こんな職人になりたい、その気持ちがある方をお待ちしています。壁を越えた先には、楽しいことがたくさん待っています。
