この連載では、新しい視点で自分らしい働き方をする若手シェフにインタビュー。どうやって自分らしさを見つけたか? どうやって今、自分らしく働いているか? シェフたちの道のりや、現在の仕事について聞きます。
vol.19 ラチェルバ 藤田政昭(後編)
vol.19 ラチェルバ 藤田政昭(後編)
料理に没頭して得られた自分の軸は、仕事を長く「続ける」ことを可能にする
「ラチェルバ」はオーナーシェフの藤田政昭さんが大阪に構えるイノベーティブなイタリア料理店。藤田さんは大学を卒業してから一般企業に就職、半年間サラリーマンとして働きました。その後イタリアに渡り、料理修業をはじめた経歴を持ちます。
イタリアと日本で働き、修業を終えた藤田さんはトラットリアを開業し、8年間営みました。そして2015年にラチェルバとして移転リニューアル。そんな藤田さんに、どのようにして料理人として自分の道を追求できるようになったかを前後編の2回でインタビューします。後編の今回は大阪で開業してから今に至るまでの変化、若い人へのメッセージをお伝えします。
藤田政昭 ふじたまさあき
1973年大阪生まれ。大学卒業後に企業で働く中、料理人を目指すように。24歳でイタリアへ。カジュアルから高級まで多彩な店で合計4年にわたり働く。帰国後はレストラン数軒でシェフを務めた後、2007年大阪に「タベルナ・デッレ・トレ・ルマーケ」開業。2015年「ラチェルバ」として移転リニューアル。2021年に阪神梅田本店のフードコートに「タブロ∈ラチェルバ」オープン。
※前編……「海外に暮らすことができればどこでも、仕事は何でも」という軽い気持ちで選んだイタリアでの料理修業だったが、現地でイタリア料理文化の深さに目覚め、労働に誇りを持つ生き方も知った。その体験を糧に、4年間イタリアで働き、帰国する。(前編→こちら)
※前編……「海外に暮らすことができればどこでも、仕事は何でも」という軽い気持ちで選んだイタリアでの料理修業だったが、現地でイタリア料理文化の深さに目覚め、労働に誇りを持つ生き方も知った。その体験を糧に、4年間イタリアで働き、帰国する。(前編→こちら)
野心は掲げず低価格で、気負わずスタート
ーー帰国してから、お店を持つまではどのように過ごしたのでしょう?
阪神エリアのレストランの副料理長、料理長の職で働きながら、日本人の感覚と、日本の素材で料理を作る力を養いました。イタリア現地のことは知っていても、日本のイタリア料理業界の状況や、日本の素材の扱いについてはわかりませんでしたから。
当時は2000年代前半で、日本の素材を日本人の繊細な感覚で仕上げた「日本のイタリアン」が流行りはじめた頃。自分はイタリアで郷土料理を学んできた人間なので、そうした、日本のイタリアンの新しい流れを知るのは新鮮で面白かったですね。
ーーお店はどのような経緯でオープンしましたか?
今の「ラチェルバ」は創作的な表現を取り入れたイタリア料理の店ですが、最初は「タベルナ・デッレ・トレ・ルマーケ」という名の、カジュアルなトラットリアを開業しました。ちなみに「タベルナ」は食堂という意味です。
経緯という意味では、たまたま「この場所、居抜きで空いているんだけど飲食店やらない?」と物件を紹介されたのがきっかけ。あまり気負わないスタートでした。
最初の頃に出していた料理は、自分の得意な郷土料理でもないし、当時の流行りの「日本のイタリアン」でもありません。野望や主張を持つよりも、まずはお客さまにたくさん来ていただき、店として生き延びることを考えました。それで、昼は近所のサラリーマンを見込んだ800円ランチ、夜はカジュアルな一品料理を提供。おいしいものを作っている誇りはありましたが、単価は安く設定しました。
ーーただし、そこから2〜3年後には「おいしい郷土料理が食べられる特別な店」と人気になりました。どのように変化していったのですか?
望んでそうなったのではなく、実のところ、なんとなくの流れだったのです。
常連のお客さまとお話する中で、僕のイタリア修業経験が彼らに知られるようになり、そうした方々から郷土料理のリクエストをいただくように。それが嬉しく、注文に応じて郷土料理を即興で作るようになったのがはじまりです。
そうしたら口コミでイタリア通のお客さまが集まるようになったんですね。で、気づいたら郷土料理の店になっていた、という流れです。
ブームに消費される扱いに嫌気がさす
ーートレ・ルマーケは8年間続けました。その店を閉め、ラチェルバという次のステップに進もうと思ったのはなぜですか?
店をはじめて7年目くらいから、このスタイルを続けるのが難しいと考えるようになったのです。
理由はいろいろありますが、一つは、イタリア郷土料理ブームがやってきたこと。ブームだから注目が集まり売り上げがアップ、あるいは他の郷土料理の店にお客が流れて売り上げダウン、ということはありませんでした。自分で言うのもなんですが、しっかりとお客さまがついていて、ブームで揺れるような店ではありませんでしたから。
でも、このブームは無視できないもので、自分にとっては全然いいものではありませんでした。弊害が多すぎた。
たとえば、雑誌に店が「消費」されてしまうということは好例です。多くの雑誌では常に新しい情報が重視されるので、いつもブームを意識しながら次に取材する店を探しています。そんな中、うちの店にもいくつもの雑誌が取材に来ましたが、「はい、済んだ。次行こう」という感じに扱われる。そういうように、雑誌の情報として店が便利に消費されてしまうのがストレスだったんです。
あと、ブームになると、知恵や経験がさほどなくても簡単に郷土料理を掲げ、「自分はこの地方の料理の専門家」を名乗るシェフや店が一気に増えたことにも嫌気がさした(笑)。それが動機の一番かな(笑)。こういう流れから決別したく、新しいスタイルを考えるようになりました。もともと、次のステップに進む時期だったのかもしれません。
――それで、今のラチェルバの業態に変わったのですね。
そうですね。次はコース料理で独自の表現をするスタイルに変えることにしました。
宮本武蔵の言葉で「一道万芸に通ず」というのがあります。これは、一つの道を極めていけば、自然と万芸に通じる、という意味。その境地に達したい、と思いはじめたのです。
僕もその頃になると、最高においしい素材を作る農家の方々、素晴らしい絵を描くアーティストの方々、器の生産者の方々などと出会うようになっていました。同世代の、自分の道を突き詰めているシェフたちとも交流するようになりました。こうした人たちと、これからも切磋琢磨し続けたい。
そのために、郷土料理を作り続けて極めるという道もありました。でも僕はその時、自分なりの表現を追い続ける人間になりたいと思った。それで、スタイルを変えることにしたのです。
世の中のほとんどの人は、道に迷ったり、挫折を味わって道が途切れそうになるもの
ーー自分が将来なりたいイメージを明確に描き、修業時代から逆算してそこに至る方法もあると思います。でも藤田さんの場合は違うように聞こえます。
全然違いますね(笑)。長期的なキャリア設計はしないタイプです(笑)。もちろんそれをする人を否定はしません。素晴らしいと思います。でも、そんな簡単に行かないという気持ちがあるのも正直なところです。
ーー簡単にいかない、というのはどういうことでしょう。
修業の最中に新しい知識や経験を得て、今までとは違う目標を持つようになるかもしれない。あと僕みたいに、逆らえない状況に嫌気がさしたことが、変化の原動力になるかもしれない(笑)。
そもそも、世の中の人のほとんどは、一本道を真っ直ぐ進みたいと願っていても、横道に逸れたり、道に迷ったり、挫折を味わって道が途切れそうになったりするもんなのです。
加えて、今回のコロナみたいな全く予想外の状況が生まれることもあります。また現代社会は、変化のスピードがめまぐるしい。
そのため、たとえシェフや経営者になるまでは人生設計がうまくいったとしても、それを続けていくことや、そこからさらに次の段階に進むためには、波瀾万丈な事柄にも対応できる能力を身につけておくのは大事です。
――「波瀾万丈な事柄にも対応できる能力」はどのように身につくのでしょう?
具体的なノウハウというものはないと思います。あえて言うなら、将来のゴールを絶対的に決めて、そこへの最短距離から逸れるのを拒否する姿勢では対応するのは難しいでしょう。さっき言ったように、たいてい道には迷うものですから。
なので、道に迷った時でも、将来なりたいイメージを描きつつ、いろいろな経験から何かを学ぶこと。また、じきに迷いから抜け、ブラッシュアップした本道に戻るための、自分軸を築く姿勢が大切だと思っています。
なので、道に迷った時でも、将来なりたいイメージを描きつつ、いろいろな経験から何かを学ぶこと。また、じきに迷いから抜け、ブラッシュアップした本道に戻るための、自分軸を築く姿勢が大切だと思っています。
その自分軸ですが、僕のイメージするのは、竹のようにしなやかなんだけれども簡単には折れない柔軟性をもったもの。
そして、どこかで教わってきたような枠に自分を当てはめるのではなく、自分に自信を持てるオリジナルな軸を追求する中で、道は開けるのだと思います。
料理を長く続けるなら、一度は料理に没頭する経験を
――オリジナルな自分軸を作るために、欠かせないことはありますか?
料理人なら、一回は料理に没頭した経験を持っていると強いと思います。逆に、没頭した経験がないといつまでたっても軸はできない。
料理は、いくら没頭しても足りないくらい奥が深く、広がりがある世界です。自分もイタリア修業時代や独立直後、料理しか頭にない数年間が確実にありました。その時には夢中で技術を鍛え、足も頭も使って知識を集め、確認し、料理のことを考え続けて思考を深め……やがてそれが生きていくための知恵になる。それが自分の軸になっています。
また、没頭して得られた自分軸は、この仕事を長く「続ける」ことを可能にします。
「続ける」という能力は人生、あるいは目標達成のために非常に大切です。しかし没頭の経験がないと、続けることがいかに大切な能力か、いつまで経っても理解できないと思います。
――今のようにSNSで情報が溢れている時代は誘惑が多くて、何かに没頭するのは難しい、ということも言えるのではないでしょうか。
それは、本当に僕も最近強く感じていることです。
SNSを使えば知識の収集はラクな反面、知恵には結びつかないとも思います。たいした手間をかけなくても調べれば、どこにどんな料理があるかわかり、それを作るノウハウも得られる。それで、自分が前進したと思ってしまう。でも、実際は進んでいないんですよね。
軽い情報は持っていても、確かな知恵に欠ける人が多いように近頃感じています。そのままだと、さっき言ったような「知恵や経験がさほどなくてもブームに乗って、ブームに消費される」店しか作れないと思います。
没頭すると、自分で情報を掘り、時間をかけた知識や経験がやがて哲学になる。それがあることで、自分の軸が築かれるのだと思っています。
雲はいつか終わるから飛び続けて
ーーそのほか、料理人を目指している生徒や、若い料理人にメッセージをお願いします。
さっき話した横道や迷いに関連しますが、「自分は本当にこの選択でよかったんだろうか」、「今の修業は本当に価値あるものなのだろうか」など、不安や孤独を感じる時は誰にでもあります。若い頃は多いでしょう。年齢を重ねた僕だって今、経営者兼シェフとして孤独を感じることはたくさんあります。
そんな時に勇気をくれるのが、「雲中一雁(うんちゅういちがん)」という言葉です。これは中国の昔の言葉で、群れからはぐれた一羽の雁が雲の中を飛んでいるさまを表しています。
この言葉からどのような意味を読み取るかはその人次第で、実際、さまざまな解釈があるようです。僕は尊敬する画家の方から聞いた、「今は一羽で飛んでいても、必ず雲はどこかで終わり、晴れたところに至る」という解釈に共感しています。
雁は群れで隊列を作って飛ぶ鳥で、いわばチームワーク。料理人と同じです。そのチームからはぐれて、孤独で周囲が全然わからなくなってしまうことがあります。でもいつかは晴れる。そうして、新しい気持ちでチームに戻るか、新しいチームに入るかいろいろですが、雲がきれいに晴れて周りが見えるようになった時のことを考えれば勇気が出てくるはず。
これは僕自身が、コロナの時に励まされた言葉でもあります。人と接したらいけないと言われ、社会状況も経済状況もどうなるかわからない。本当に不安で苦しい。まさに雲の中です。でもいつかは晴れる。そんな強い勇気をもらいました。
今不安や孤独を感じている人には、この言葉が表現している雲の中の一羽の雁のことを思い浮かべてほしいです。そして、雲が晴れた時の風景を考えて飛び続けることだよ、と伝えたいです。
ラチェルバ
ラチェルバ
大阪府大阪市北区堂島浜1-2-1 新ダイビル 2F
Text 柴田泉
Photo 高嶋克郎