この連載では、新しい視点で自分らしい働き方をする若手シェフにインタビュー。どうやって自分らしさを見つけたか? どうやって今、自分らしく働いているか? シェフたちの道のりや、現在の仕事について聞きます。
vol.18ラチェルバ 藤田政昭(前編)
vol.18ラチェルバ 藤田政昭(前編)
「海外ならどこでも、仕事は何でも」から、イタリアでの料理修業に没頭
「ラチェルバ」はオーナーシェフの藤田政昭さんが大阪に構えるイノベーティブなイタリア料理店。藤田さんは大学を卒業してから一般企業に就職、半年間サラリーマンとして働きました。その後イタリアに渡り、料理修業をはじめた経歴を持ちます。
イタリアと日本で働き、修業を終えた藤田さんはトラットリアを開業し、8年間営みました。そして2015年にラチェルバとして移転リニューアル。そんな藤田さんに、どのようにして料理人として自分の道を追求しているかを前後編の2回でインタビューします。前編の今回は、藤田さんが料理の道に入った経緯から、イタリア修業までについてお伝えします。
藤田政昭 ふじたまさあき
1973年大阪生まれ。大学卒業後に企業で働く中、料理人を目指すように。24歳でイタリアへ。カジュアルから高級まで多彩な店で合計4年にわたり働く。帰国後はレストラン数軒でシェフを務めた後、2007年大阪に「タベルナ・デッレ・トレ・ルマーケ」開業。2015年「ラチェルバ」として移転リニューアル。2021年に阪神梅田本店のフードコートに「タブロ∈ラチェルバ」オープン。
回り道をしてから料理人をめざす
――藤田さんはどのようにして料理人をめざすようになったのですか?
僕が料理人になろうと決めたのは24歳の時で、遅いんです。いろいろなものに興味があり、一つに絞ることのないまま高校を出て、大学に行き、さらに一般企業に就職。ただ、そんな中でも海外への憧れだけはずっと持ち続けていました。
外国への興味は小さい頃からあり、高校の時はアメリカンフットボール部に所属し、全盛期だった心斎橋の「アメ村」(アメリカ村)に通ってスニーカーやブラックミュージックにハマるアメリカかぶれ。大学に入ってからはヨーロッパのファッション、アート、音楽、文学など文化全般に興味が移りました。
ヨーロッパ文化の一つということで、当時ブームだったイタリアワインにも興味を持っていましたね。バイトでお金を貯め、一人でイタリアンレストランに食べに行ったりもしていました。ただ音楽やファッションや文学にも同様にお金と時間を使っていたので、料理だけが突出していたわけではないのですが。
――その興味が、料理に集中するにはどのような経緯があったのでしょう。
実は、興味が料理に集中したからこの道に入ったのではなく、海外に行く手段として消去法で料理を選んだ、というのが正直なところ。料理を深く好きになるのは、料理の道を選んだ後のことでした。
大学卒業後は、海外への憧れの延長線上で、英会話学校の「NOVA」を運営する会社に就職しました。仕事で外国人講師の方々との交流し、そこから海外での仕事につながるかもしれない、と思ったのです。
でも、そんなことはなかった(笑)。悩んでいたところ、別部署ですが、僕のことを気にかけてくれていた部長さんに「海外に憧れているなら、早くどの国でもいいからさっさと行くといい。君は年齢もいっているから」と言われたんです。その通りだと思い、ひとまず海外に行こうと決め、入社半年で退職しました。
で、どうやって海外で生活しようかと考えた時、料理が頭に浮かんだんです。レストランで働けばまかないがあるし、住み込みだって探せる。身一つで海外に渡っても生きていける、という考えです。
じゃあどこの国に?となった時、料理ならフランスかな、とも思ったのですが修業が大変そうなので回避(笑)。一方イタリアで、世界中で需要の高いパスタとピッツァを学んでおけば、いざとなった時にどこの国ででも自分で店をやりやすそう。じゃあこっちだな、と(笑)。
なので「海外に暮らすことができれば仕事は何でも、国はどこでも」という考えで料理という仕事、イタリアという国を選んだようなものなのです。
こう決めてイタリア行きを決めましたが、料理経験ゼロで行くのも無謀。一応、仕事を辞めてから2ヶ月間、大阪のイタリア料理店でアルバイトしました。その後、イタリアに渡ったのが24歳の時でした。
仕事が好きで、夢中になって働く人たち
――イタリアでは何年間働いたのですか? また、どのようにして修業を開始しましたか?
あちらで働いたのは合計4年ほどです。
まずはフィレンツェで暮らしました。到着したらすぐレストランのガイドブックを何冊か買って、評判のよい店を徹底的に研究。1日も早く働きたい店を見つけ、アタックしようと思っていたのです。
フィレンツェのレストランといえばミシュラン三つ星の「エノテーカ・ピンキオーリ」が世界的に有名でトップなのですが、いきなりは雇ってくれないだろうし大変そう(笑)。じゃあ、ということで狙いを定めたのが「チブレオ」という伝統的なトスカーナ料理のお店。トラットリアを併設しているから、最高級店のピンキオーリほどハードルは高くなさそうだし、味もおいしそう。
早速こちらの店に働きたいと頼んだら、すんなりとOKが出ました。フィレンツェ到着から1週間ほどの頃です。
――厨房の仕事はハードでしたか?
そうですね、ハードはハードでした。ただし、チブレオは下働きからスーシェフクラスまで、猛烈な集中力で朝早くから夜遅くまで働くのを厭わない人が集まっているような店なんです。彼らは「やらされている」のではなく、好きで夢中になっている。
それまで、そういう姿勢の人たちと一緒に働いたことがなかったので、ちょっと驚きました。と同時に「あ、こういうのが自分がやりたかった労働なんだ」腑に落ちました。
彼らにとっての労働は、「勤務時間に業務をこなす」のではなく、「目標や誇りを持って働く」こと。修業の最初にそうした環境に放り込まれ、彼らの労働観が自分の中に刷り込まれたのはとても幸運なことでした。なので仕事に追われる大変な日々ではありましが、やらされている感覚がないので苦しくはなかったです。
あとやっぱり、日々できることが増えていくのは普通に楽しいですよね。たとえば、入ってすぐの頃は早朝から大量の玉ねぎとニンニクを1時間半包丁でみじん切りにする係。当然最初は時間がかかりますが、くり返す中で技術が上がり、効率アップの工夫もすることで早く終わるように。そうしたらワンランク上の仕事をさせてくれるのが楽しかった。ステージをクリアして次に進むゲームのようなもの。
先輩たちがフィレンツェ料理の郷土性や伝統について教えてくれたことも覚えています。このおかげで、僕はイタリアの地方ごとの料理の成り立ちを考えるようになり、「イタリア料理ってすごい文化だな」と気付きました。それで、料理の仕事に対する憧れをますます強めていったのです。
さっき話したように、イタリアでの料理修業を選んだのは生活のためだったり、ラクそうだったりという軽い気持ちだったのですが、いい意味でその目論見とは違う世界が待っていました。全然ラクではないけれど厨房で働くのは楽しいし、イタリア料理は深くて面白いしハマる。チブレオでは1年間働きましたが、その1年間は自分にとって非常に重要な日々となりました。
「憧れ」があれば、なんでも続けられると思う
ーーその後のイタリア修業はどのように続けましたか。
ミラノ郊外にある「アイモ・エ・ナディア」という店に移りました。チブレオがトラットリアだったので、次に選んだのは違うタイプ。当時ミシュランの2つ星の、世界の食通に知られているリストランテです。
その後はアラーシオ(イタリア北西部リグーリア州)、ベルガモ(イタリア北部ロンバルディア州)、ブレーシア(イタリア北部ロンバルディア州)、ナポリ(南部カンパーニャ州)で働きました。
なお実は、アイモ・エ・ナディアで働いていた頃に一つ心境の変化がありました。それまでは「ずっと海外で生活したい」と思っていたところ、いつか日本に帰って自分の店を持ちたいと思うようになったのです。
そう考えたら呑気ではいられない。それで、あえてイタリアの北から南まで、異なる地方を意識的に回ることに。イタリアは地域によって全く料理が違うので、それを体感するのが目的でした。
ーーそうしたモチベーションで、イタリア各地の料理を学んだんですね。
そうですね。モチベーションもありましたし、やはりイタリアに身を置いて、全力で料理修業できる幸せが気持ちの根底にありました。だから孤独に苦しんだり、自分だけがしんどい思いをしていると感じた時期もありましたが、辞めたいということはなかったです。
そんな経験をふり返って今、思うのは、「憧れ」があればなんでも続けられるのでは、ということ。これはどの年齢でも言えます。憧れる相手は人だったり、文化に対してだったり、なんでもいいのです。
僕の場合は海外で暮らしたいという憧れが昔からあり、イタリアに来てからは料理の文化に憧れるようになりました。回り道はしていましたが、憧れに近づいている手応えは日々あったので、焦って追い立てられることはなかったですね。
逆に、憧れも目標もなく、自分が歩いている道を信じることができなくなったなら、それは本当に辛いこと。僕でいうと、大学卒業後に半年間会社員として働いた時期がそれにあたります。あの悶々とした精神状態を長く続けるなんて無理です。
なので憧れが感じられないなら、歩みを止めて別の道に移るのが正解なのかもしれません。それは悪いことではありません。自分の憧れはなんなのか、じっくり自分を見つめるタイミングなのだと思います。
ラチェルバ
大阪府大阪市北区堂島浜1-2-1 新ダイビル 2F
http://www.lacerba.jp
Text 柴田泉
Photo 高嶋克郎
Text 柴田泉
Photo 高嶋克郎