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新しい視点で自分らしい働き方をする若手にインタビューするこの連載。今回は、日本料理店「てのしま」主人の林亮平さん、女将の紗里さんに登場いただく全3回のシリーズの最終回。お二人に対談で、今掲げている目標などについてお話いただきました。
vol.9 てのしま 林 亮平・紗里
大きな目標を達成するには、一歩一歩進むのみ。
その過程で登場する壁に立ち向かう人生を選びたい
「てのしま」は2018年に東京・南青山にオープンした日本料理店。オーナーシェフの林亮平さんは17年間にわたり「菊乃井」に勤務し、主人の村田吉弘さんの右腕として活躍したのち独立開業しました(詳しくはvol,7参照)。
一方、女将の紗里さんは、企業でウェブデザイナーとして働いたのちフィンランドに移住し、現地に日本食レストランを2年間営んだという経験の持ち主です(詳しくはvol.8参照)。
お二人は日々お客を店でもてなすと同時に、林さんのルーツがある瀬戸内海の手島で店を開く、という目標に向かい歩みを進めています。こうした大きな夢に二人で挑むようになった経緯と現在について、そして仕事への向き合い方について対談で語っていただきました。
林 亮平 はやしりょうへい
1976年香川県生まれ。幼少時より料理に興味を持ち、立命館大学在学中には料理サークルを立ち上げる。卒業後に「菊乃井本店」(京都)に入り村田吉弘氏に師事、17年間にわたり菊乃井で働く。本店副料理長(2011〜)や赤坂店渉外料理長(2015〜)を務め、国際会議や首相官邸晩餐会での料理担当経験多数。和食普及のイベントのために訪れた国は世界17カ国。2018年、「てのしま」を独立開業。
林 紗里 はやしさり
1978年東京生まれ、京都育ち。「良品計画」にてウェブ事業部の立ち上げなどに携わり、2007年よりフィンランドに在住。同国の名門調理師学校「ヘルシンキ調理師学校ペルホ」で学び、現地のレストランや京都の菊乃井本店で経験を重ねる。2014年から15年にかけてフィンランドで日本食レストランを経営。帰国後はレストランで働いたのち林亮平氏と結婚、てのしまの女将となる。
たくさんの人たちと関わることで、構想は進化する
――お二人は、「瀬戸内海の手島で店を開き、限界集落になっている島を料理で復活させる」という目標を掲げています。あらためて、この目標が生まれ、形になった経緯を教えていただけますか。
林 亮平(以下、亮平) 菊乃井に勤務していた時、国内外のさまざまな場所に赴いて多くの料理イベントに携わってきました。その経験を通して、料理には国境を越える力や人を集める力、社会貢献する力があると実感しました。であるなら、料理で日本の地方をもっと盛り立てたいと思うようになったのです。
これと、自分のルーツがある手島の集落を消滅から守りたいという個人的な危機感がつながって、島に店を構え、料理を通して限界集落を再生させるという目標が生まれました。成功例を作ることができれば、全国の他の場所の参考にもなるのでは、とも見据えています。
また、日本料理がこの先進化するためのヒントは、今まで見過ごされがちだった各地の郷土料理の中に多くあると僕は考えています。しかし、その郷土料理も現在は作る人が少なくなり危機に瀕している。誰かがこれを次世代に引き継がせる活動をしなくてはなりません。そこに、自分も関わることができるのではないか。
こうした全体像が見えてからは、いろいろな人に相談しながら構想の精度を上げ、実現に向け試行錯誤を始めました。もちろん紗里にも相談しています。
林 紗里(以下、紗里) まだ結婚前のお付き合いの時でしたが、いつかは島に帰りたいという亮平さんの夢は聞いていました。その夢を実現するにはどうしたらいいのか――いきなり島に店を持つのは難しい。ならば最初は四国?東京?京都? そして島の店のお客さまになってくださるのはどのような方々か? たとえば東京と海外の方々を呼ぶのであれば、店の場所はまずは東京が適しているのでは? ――という具合にたくさん二人で話しましたね。
亮平 彼女は、思考のキャッチボールの相手になってくれたんですよ。こちらが描いている構想を彼女に説明し、それに対して意見をもらって練り直して……という作業をくり返すわけですが、紗里から返される意見は論理的で現実的。つまり非常に厳しい(笑)。フィンランドで自分の店をやっていただけあって、こちらの構想の甘いところへの指摘が容赦ないんです。コンサルティングをしてくれたようなものでした。
紗里 そこまで厳しかったですか(笑)。
亮平 結局、自分のやりたことがあって、何をすればそれが実現するか検証する作業というのは、自分と徹底的に向き合うということなのです。自分の足りないところも明らかになるので、それはもう苦しいですよ。途中で吐きそうになりましたから(笑)。
紗里 相談を重ねる中で思ったのは、二人とも大将(「菊乃井」主人、村田吉弘氏)の「料理を通して社会に貢献する」という教えに深く共感しているので、根本的な部分でぶれなかった、ということです。
亮平 あと、個人の料理人として一生でできることは限りがあります。だから大きな目標を持ち、たくさんの人たちと関わっていきたいと思った。これに関しても、二人とも同じ意見です。
紗里 たとえば実際に生産者の方々のもとを訪ね、話をお聞きするうちに見えてくるものがあります。海からどれだけ魚が減っているか、環境の変化でどれだけ野菜の育て方が変わったかということを聞くと、未来を意識するようになる、という具合です。
私たち二人で話していただけなら、「ルーツがある島に店を出したいね」「島を盛り上げたいね」で終わっていたかもしれません。でも多くの人と関わる中で、島の復活に加え、日本料理や日本の環境を次の世代に少しでもいい形で渡したい、と思うように。私たちが少しでも考えて行動しなくてはいけないと考えるようになりました。
海外の人に響く価値は何か?
――先ほど「海外の方々を呼ぶ」という言葉が出てきました。海外との関わり方は、どのように考えていますか。
亮平 海外への意識は強く持っています。僕は世界を見たから、島に残る自然や文化がいかに貴重であるかを理解できた。だからそれを世界に発信し、世界からお客さまをお迎えしたいのです。
紗里 海外のメディアの方や海外のお客さまに「島に店を持つ」という計画を話すと、強く反応してくれます。手島に残る日本の原風景や、この島と亮平さんの個人的なつながり、郷土料理の復興をめざすという私たちの目標など、それらすべてが合わさった構想に価値を感じてくださるようです。
亮平 てのしまをオープンしてから、海外で何度か料理イベントをやっているのですが、そこでの参加者の皆さんにも響いていました。手島と僕らのストーリーを話すと、その場で手島の場所をGoogleMapsで調べ、「クールだね! 行くよ!」と言ってくれる。
コロナ前は、今の青山のこの店にも海外からのお客さまが多く足を運んでくだっていました。紗里のフィンランド時代の友人やお客さんも来てくれたんですよ。彼らからしたら、東京と手島の誤差なんて少し(笑)。ぜひ島にも来てほしいですね。
負荷に立ち向かう覚悟をいつ決めるか
――自分も将来、このような大きな夢に取り組みたいと考える若い人は多いと思います。そのためには、若い時期をどのように過ごすのが大事でしょう。
亮平 若い時、自分を追い込んで仕事に没頭する時期は一定期間必要です。その時期に、どれだけ自分と向き合えるかということが大切なのではないでしょうか。前も言いましたが、「気を練れるか」が重要です。
紗里もウェブデザインの仕事で若い時にコテンパにやられて(笑)、気を練った経験が糧になっている。それにより広い視野で仕事を捉えることができるようになったはずです。
紗里 たしかに若い時は泣かされました(笑)。プレゼンをしても「そもそも考え方がおかしい」などと言われたことも多かった。さすがにきつかったです。
そんな中で、いいものを出した時は「わかってきたね」と言ってくれ、厳しくも受け入れてくれる人がいたことが成長につながりました。そういう意味では、周りの環境も大事だと思います。精一杯に取り組めば道が開けるという小さな成功を積み重ねることは、前進のエネルギーになりますから。
また、私はデザイナー時代から「今自分がいる環境で、自分が持っている武器を使い、最大限を出す」ことを心がけてきました。これはその後の料理の道に進んで以降も役に立っています。
亮平 修業は一生続きます。「10年修業したら楽になる」なんてことはありません。壁を一枚突破したら、また次の壁がやってきて自分に負荷がかかる。それがずっと続くので、人生の中でいつ負荷を引き受ける覚悟を決めるか、ということでしかないんです。
大きな目標を達成するには、一歩一歩進むしかありません。その過程で、当然「これはとりわけ厳しい」と思うような壁は登場します。そこから逃げることもできるし、実際逃げたくなることも多々ありますが、同じ人生なら立ち向かう人生を選びたい。逃げてラクして、定型なぞって、それで何が楽しいのかな? と思うんですよ。
なので、「いでよ!」です(笑)。業界で変革を起こす奴を待つ!いでよ! ともに日本を盛り上げて、社会貢献できる仲間を待っています。
取材・文/柴田 泉 写真/小沼祐介
てのしま
取材・文/柴田 泉 写真/小沼祐介
てのしま
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