新しい視点で自分らしい働き方をする若手にインタビューするこの連載。今回から全3回で、日本料理店「てのしま」主人の林亮平さん、女将の紗里さん、そしてお二人の対談をお伝えします。初回に登場するのは、林亮平さんです。
vol.7 てのしま 林 亮平
料理を通して公の利益を実現する。
この考えで日本料理の未来を拓きたい
「てのしま」は2018年に東京・南青山にオープンした日本料理店。オーナーシェフの林亮平さんは17年間にわたり日本を代表する料亭「菊乃井」に勤務し、主人の村田吉弘さんの右腕として活躍した人物です。世界を股にかけて日本料理の可能性を拓く村田さんのもとで学び、かつ下支えするという貴重な経験を重ねてきました。
そんな林さんが自分の店のコンセプトとして選んだのは、新しい日本料理の追求です。そこでは、高級料理のきらびやかさより、日本各地で継承されてきた伝統料理の奥深さが重視されます。そして、このコンセプトを突き動かしているのは、日本の伝統的な食文化を再生させたいという林さんの大きな使命感です。
そんな林さんに修業時代から今に至る歩みと、修業中の若い人たちへのメッセージを聞きました。
プロフィール 林 亮平 はやしりょうへい
1976年香川県生まれ。幼少時より料理に興味を持ち、立命館大学在学中には料理サークルを立ち上げる。卒業後に「菊乃井本店」(京都)に入り村田吉弘氏に師事。17年間にわたり菊乃井で働き、本店副料理長(2011〜)や赤坂店渉外料理長(2015〜)を務める。日本料理関連のイベントで訪れた国は20カ国近い。国際会議や首相官邸晩餐会での料理担当経験多数。2018年、「てのしま」を独立開業。
丸坊主になって店を訪問。手紙を預けた
――林さんは、どのようなきっかけで料理人になったのでしょうか。
小さい頃から料理が好きだったんです。親が言うには、絵本を手にする年齢から料理本を見ていたらしい(笑)。あと、家が共働きだったので小学校の頃から簡単な料理を台所で作っていました。
一度中学卒業の時、親とも話し、料理の道に進もうと考えたことがありました。でもこの段階で人生を決める度胸がなくて、結局普通科の高校に。そのまま大学まで行き、でも料理が大好きなので3回生の時に料理サークルを立ち上げたりしていました。
料理の道に進むと決めたのは、就職活動の時です。100社ほど受け、内定ももらっていたのですが、大きな会社に自分がなじめるとは思えなかった。このまま就職してもきっと辞めてしまう。だったら好きなことをしよう! と決意したその足で実家の親に会いに行き、土下座(笑)。大学まで出してくれたんですからね。中学卒業の時のことがあるので、親父は「そういうことやと思っていた」と言っていました。
で、心は決めたけれどもツテがない。大学の就職部に行っても「料理屋はない」と言われてしまい……。ならば、と、就職活動の基本「文献調査」に立ち返り(笑)、料理人さんの著書をたくさん読んだんです。その中で感銘を受けたのが、大将(「菊乃井」村田吉弘氏)の本。大将の本は全部読みました。インパクトがすごかったですね。
これはもう絶対に菊乃井で働きたいと思ったのですが、やはりツテがない。じゃあ、と、熱い気持ちを手紙にしたため、丸坊主にして本店まで行き「読んでください!」と玄関の方に渡すという行動に出ました(笑)。そうしたら面接の連絡が来て、無事研修に入ることに。こうして、大学卒業後に菊乃井で働く流れを作ることができました。
以降、17年間菊乃井です。でもその17年間は一瞬でしたね。
一ヶ月でN.Y. 、シドニー、スペインに
――相当濃密な日々を過ごしていたのですね。最終的には本店の副料理長、赤坂店の渉外料理長を務めましたが、どのようなステップアップをしたのでしょう。
ステップアップしている気も、もはやありませんでした。忙しすぎて(笑)。でも、しんどいというのも全然ない。
最初は一番下のポジションからはじめるので、当然仕事量が多く覚えることもたくさんあり、とにかく追い立てられる日々でした。それが5年ほど続いたのち、徐々に大将が店の外でイベントをする時に同行させてもらうようになったんです。そのうち、それらの下準備の責任者として仕事をまかされるようになりました。
大将は海外でも国内でもイベントをしますが、とにかくスケールの振り幅が大きい。首相官邸の公式晩餐会から、地元のご婦人を対象とした料理教室まであります。これらすべてに、ていねいに取り組むのです。そうした姿を見ると、こちらも非常に身が引き締まるし学びになります。
また、大将はイベント開催の頻度が高いので、準備や移動が大変です。ある時はひと月でN.Y.、シドニー、スペインに行ったことがあります。しかも、すべてが料理つきのイベント。事前に現地での食材調達から段取るので尋常じゃない仕事量です。我ながら凄まじかったと思います(笑)。
こんな具合に、常にいくつもの案件を走らせながら準備に追われ、責任に追われる毎日でした。独立開業など、自分のことなんて考える余裕はありません。
――なぜ、林さんがその責務をまかされるようになったと思いますか?
多分ですが、エクセルができたのと、外部の方々とちゃんとメールでやりとりできたからではないでしょうか(笑)。これができると、仕事の幅は確かに広がります。でも、もちろん大切なのはそこではありません。
大切なのは、大将が常々言っている「料理人は、料理を通して公利(公の利益)を実現しなくてはいけない」という精神を理解することにあると思います。これがまずは必須です。
僕はこの考えを、仕事を通して一層深く体に染み込みませることができました。「公利」を身をもって実行している大将と深く関わることができたのですから。これこそ、本当に貴重な経験です。感謝してもしきれません。
旗を立てると、協力してくれる人は現れる
――独立してご自身の店を開業することについては、いつ頃から意識したのでしょう。
東京の支店「菊乃井 赤坂」の料理長に就いたことがきっかけです。京都の本店は当時年中無休でしたが、赤坂の店は日曜定休。とはいえ、その定休日も京都でなんらかの仕事が入っているわけですが(笑)、毎週通う新幹線での往復4時間が自分の時間になりました。
そこで、世界を見て、日本を見るという経験をさせていただいた自分は何ができるだろう。何をすべきだろうと考えるようになったのです。おぼろげに、日本の地方の再生は必要なのではという思いはありました。そして料理はそれに大いに役に立つ、とも。
それと同じ頃、林家のルーツがあり、僕も幼い頃から何度も訪れていた香川県の瀬戸内にある島「手島(てしま)」の人口が20人をきったと知ったのです。ならば自分がこの島に店を構えることで人を呼び、雇用を作ることで、料理を通した再生ができるのでは? 成功すれば全国のモデルケースになるのでは? とひらめいたのです。これを自分の目標に掲げ、独立を真剣に考えるようになりました。
壮大な夢だと思います(笑)。でも旗を立てると、協力してくださる方は現れるものです。声を上げ行動しなければ、何もはじまりません。
ちなみに最初はすぐにでも手島に店を作ろうと思ったのですが、いろいろな人に相談させていただいたところ、まずは都心に店を構えることをすすめられました。最初は東京で実力と信用、発信力を蓄えるのが現実的だ、と。まさにその通りですので、今は、都心で店をやっています。でもこれは、手島に店を構えるための第一ステップです。
あなたはどれだけ「気」を練れるか?
――大きな、そして非常に意義ある夢に向けて着実に進んでいらっしゃいますが、そんな立場から見た、若者へのメッセージをいただけますか。
社会に出たての若い時の修業は厳しいですよね。真っ暗闇の中で、手探りで梯子を登るようなものです。いや、それが梯子であることすらわからない。登っているか降りているかもわからない。何かにしがみついて動いている。それがファーストステージじゃないでしょうか。
なお技術は後からついてくる、と僕は思っています。修業の一番本質的なところは、これは大将の言葉でもあるのですが、いかに「気」を練れるか、ということです。自分は何のために料理人になったのか。何のおかげで自分は今ここにいて、周りにどれだけ感謝できるか。そうして自分と周りを徹底的に見つめて、思考と精神を練ることが修業なのだと思います。
これができていると、「同輩のあいつは、サボっているのに注意されなくてずるい」なんてちっぽけな気持ちは生まれないはずです。誰と戦っているんだ? 世界にいる同世代と比べて自分はどうだ? そういう視点を持つと仕事への意欲が湧くはずです。となると、ファーストステージをくぐり抜けた時に見える世界が違ってくるし、その世界とどう向き合うかも変わってきます。
そしてやはり、大将の言う通り「料理を通して公利を実現する」という究極の目標は早い時期から意識してほしいですね。あと、「料理人はこんな感じかな」という定型なんて求めないでほしい。答えを探すのではなく、自分が新しい土俵を作る気持ちでいてほしいです。
これは若い人へのメッセージでもありますが、僕もそうなりたい、ありたいです。世代を超えてこの考えを共有できると、日本の料理界に革命を起こすことができると本気で思っています。
取材・文/柴田 泉 写真/小沼祐介
てのしま
取材・文/柴田 泉 写真/小沼祐介
てのしま
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