→第1回の記事はこちら
新しい視点で自分らしい働き方をする若手にインタビューするこの連載。今回は全3回で紹介する日本料理店「てのしま」、林亮平・紗里夫妻のシリーズの第2回。海外でのレストラン経営など、異色の経験の持ち主である女将の林紗里さんに話を聞きました。
新しい視点で自分らしい働き方をする若手にインタビューするこの連載。今回は全3回で紹介する日本料理店「てのしま」、林亮平・紗里夫妻のシリーズの第2回。海外でのレストラン経営など、異色の経験の持ち主である女将の林紗里さんに話を聞きました。
vol.8 てのしま 林 紗里
料理は自分の力でさまざまに生かせる職業。
柔軟に働く女性の友人はたくさんいます
「てのしま」は2018年に東京・南青山にオープンした日本料理店です。オーナーシェフの林亮平さんは17年間にわたり「菊乃井」に勤務。主人の村田吉弘さんの右腕として活躍したのち、独立開業しました(詳しくは前回参照)。
一方の紗里さんは、会社勤めをしたのち、30歳を目前にしてフィンランドに移住。調理師学校で学び、国内外の店で経験も重ね、現地に日本食レストランを開業します。その後日本に帰国し、のちに亮平さんと結婚。てのしまの女将となりました。なお亮平さんと紗里さんは、現在3歳の娘の子育て真っ最中でもあります。
今回は紗里さんに、今に至る道筋についてと、レストラン業界で働く女性に向けたメッセージを聞きました。
プロフィール 林 紗里 はやしさり
1978年東京生まれ、京都育ち。「良品計画」にてウェブ事業部の立ち上げなどに携わり、2007年よりフィンランドに在住。同国の名門調理師学校「ヘルシンキ調理師学校ペルホ」で学び、現地のレストランや京都の菊乃井本店で経験を重ねる。2014年から15年にかけてフィンランドで日本食レストランを経営。帰国後はレストランで働いたのち林亮平氏と結婚、てのしまの女将となる。
入試面接で、ミシュランシェフになると宣言!
――紗里さんは会社勤めを経てからフィンランドに渡り、料理の道に進みます。その背景にはどのような経緯があったのでしょうか?
20代の頃の自分は、ウェブデザイナーとしての仕事に没頭する日々を過ごしていました。ウェブ事業部の立ち上げやネットコミュニティーの運営に携わるなど、仕事の内容は充実していたのですが、30歳に近づいた頃「自分のデザインの才能には限界がある」と行き詰まりを感じてしまったんです。社内でもだんだん現場を離れて管理する立場になるなど、状況の変化もありました。フィンランドに渡ったのはそんな時です。
渡ってから間もない頃、語学学校の研修で行ったレストランで料理に興味を持ち、この仕事に進もうと決めました。料理もデザインも、表現したいものに向けて道筋を作るところからはじめる。そして伝えることが何よりも大事。そうした共通点があるので、まったくの別世界に行ったという気持ちはありませんでした。
――まずはフィンランドの料理専門学校に行かれます。ここではどのような体験をしましたか?
入ったのは、フィンランドの中でトップと言われている料理専門学校で、ミシュランシェフも多く輩出しているところです。入試の倍率は50倍という狭き門。面接の時、この学校に対する自分の思いを熱くアピールしたら、「君の人生にとって、この学校がどんなメリットがあるかわかった。では、あなたを学生としてとることで、学校側にはどんなメリットがあると思うか?」という質問を投げられたんです。学校側のメリット? まさかそんなことを生徒に聞いてくるなんて。日本とは違う自覚が求められました。
ちなみに私の答えは、「私を入れたら、あなたの学校はもう一人ミシュランシェフの卒業生を得ることができるでしょう」。完全にハッタリです(笑)。でも、このハッタリで合格できたのかもしれません。
私が入ったのは国際科のクラスで、授業は英語です。13カ国からの同級生がいて、年齢は下は21歳から上は42歳まででまちまち。とても刺激を受けました。
実技は、フランス料理が基本。そのほか原価計算や店舗経営、法律の勉強もするなど、非常に実践的だったのがその後に役に立ちました。またフィンランドの料理学校では、先生たちは数年間に一度休職し、レストランの現場に1年間入ることが求められています。そうして知識や技術をアップデートし、業界の動向も知る。そんなハイレベルな先生たちの授業は厳しく、でも非常に充実していました。
「フィンランドで日本料理店オープン」の夢を達成
――研修では、どのようなお店に入りましたか?
フィンランドのレストランにもいくつか入りましたし、実は卒業前の最後の研修の時、京都の菊乃井本店にも入れていただきました。
私にはフィンランドで日本料理店を開きたいという目標があったので、一度は日本で日本料理をしっかりと学ぶ必要があると考えていたのです。それで、実家が京都だったこともあり、京都中の料亭に3ヶ月の研修をさせてほしいと手紙を書いたところ、一軒のみが受け入れてくれるとの返事をくださった。それが菊乃井本店でした。
最終的には、菊乃井には研修の後も1年間と少し修業でお世話になりました。その後、フィンランドに戻りました。
――フィンランドでは、日本食のレストランを開業します。
2年間で2店を手掛けたのですが、1店目はフィンランドの古都トゥルク近くにある港町、パライネンでの開業。美しい海に面した高級リゾートのエリアに立地していたこともあり、オープン直後から感度の高いお客さまでにぎわう店となりました。その後、徐々に地元の方にも親しんでいただけるようになったのも嬉しかったです。
店は軌道にのったのですが、他の土地に縁があって、最初の店は1年ほどで閉じることに。2店目はアートや工芸で有名なフィスカルスという村に構えました。こちらは、1年後にリニューアルする築100年の集会所内に作った、期間限定の店。ありがたいことにとても評判がよく、新聞やメディアにも取り上げていただきました。そしてこの店を終えた後、日本に帰国……という経緯です。
「女性だから」という点は意識される?
――少し話が戻りますが、菊乃井本店では、学校を出たすぐの人たちと同期で修業をしていたのですよね?
はい、今から7年ほど前のことですね。一年生としてヘトヘトになりながら働いていました。当時、私は30代半ば。年齢が高いので体力的にはきついところはありましたが、人生経験もあるので、広い視野で修業のつらさを見ることができたんですね。その点は、他の若い人とはやはり違ったと思います。
――日本料理店で女性が働くことは、当時はなかなか困難もあったと思います。
そうですね、日本料理のジャンルはやはり西洋料理に比べたら保守的な気風が残っています。さらに私が入った職場は、27人の厨房スタッフの中女性は私一人。「しょせん女だから」という態度で軽く見られることもありました。
でも私は先ほども言いましたが、それ以前の社会人経験と、あとフィンランドのレストランでの経験があるので持ちこたえることができたと思っています。
フィンランドのレストランの厨房は、まずスタッフはほぼ男女同数。そして女性だからと特別扱いされることはありません。力仕事に関しては、男性が自然に担当していました。「できる人がやる」という感覚です。
「女性だから」という点が意識されるとすれば、繊細な感性を持っているというプラス面でしょうか。細かい点に気づき、心を配ることができるという意味で頼りにされていたと思います。男女それぞれが得意な部分で補い合う。基本的にフラットなんですね。
こうした経験をフィンランドでしているので、女性に対して理不尽だった日本の厨房――当時ですよ? 今は相当改善されていると思いますが――では、「厨房は、本来はこんなもんじゃない! 男女関係なく仕事できる場所もあるはず!」という希望があったんです。それがなくては、絶望だけだったかもしれません(笑)。
ですので、もしも今女性で理不尽な思いをしている人がいたら、たとえば別の店で研修させてもらうなど、違う環境を体験してみるのをおすすめします。「今自分がいる場所がすべてではない」と知ることができ、ずいぶん楽になるはずです。いろいろな環境に自分から飛び込んでいくことが大事なのだと思います。
――女性はキャリアと出産、子育ての両立という問題もあります。
そこですよね。私は20代30代は仕事に邁進し、その間は正直子供は考えられませんでした。産んだのは40歳の時なのであまりいい例ではないかもしれません。自分の人生の中で子供を望むなら、社会に出た時点で一度そのことを意識しないと、私みたいにギリギリになります(笑)。
キャリアと出産、子育ての両立はどの職業でも悩むところです。とくに日本の料理業界ではうまく両立させている例がまだ少ないので、結局、自分のキャリアの道筋はオーダーメイドで考えるしかないのが現実です。
ただ、同時に思うのは、料理は自分の力でさまざまに生かせる職業だということです。私の友人たちの中には、子育てをしながら週末だけのレストランを開いたり、企業と一緒に商品開発をしたり、自分でイベントやったり……と柔軟に働いている人もいます。そうした角度でキャリアを考えると、将来が不安ばかりではなくなるのではないでしょうか。
これは男性にも言えることですが、苦しさや不安というのは分解すると、自分が何をやりたいのかわからないところから生まれると思うんです。そんな時は少し立ち止まって、周囲を見回し、自分が本当に何をしたいのか、どういう生き方をしたらいいのかを考える時間を持つのがいいと思います。
取材・文/柴田 泉 写真/小沼祐介
取材・文/柴田 泉 写真/小沼祐介
てのしま
東京都港区南青山1-3-21
1-55ビル2階
TEL 03-6316-2150