この連載では、新しい視点で自分らしい働き方をする若手シェフにインタビュー。どうやって自分らしさを見つけたか? どうやって今、自分らしく働いているか? シェフたちの道のりや、現在の仕事について聞きます。
vol.16 ラス 兼子大輔(前編)
がむしゃらだったから、他の誰にも負けない自分の土俵の土台を作ることができた
「ラス」は2012年に東京・青山にて、兼子大輔さんがオープンしたフランス料理のレストラン。店名の「ラス」は、フランス語で「第一人者」という意味を持つ言葉。自分の得意を分析して誰にも真似されない土俵を作り、そこで第一人者になるという兼子さんの姿勢を示しています。
ラスの最大の特徴は、9〜10品で構成するおまかせコースが、内容に対してグッとリーズナブルに価格設定(税込6600円。オープン当時は同5250円)されていることです。機器の活用とオペレーションの工夫を徹底してそれを実現しています。結果、お客さまは満足度の高い体験をし、スタッフは快適な環境で働ける。これが、兼子さんが一番自分らしく、自信を持って店を続けられるスタイルです。
今回は、兼子さんのインタビューの前編。調理師専門学校を卒業し、ラスをオープンするまでの話を伝えます。
兼子大輔 かねこだいすけ
1979年広島県生まれ。大阪の辻学園調理・製菓専門学校時代からアルバイトをしていた大阪「ラ・ベカス」に就職。バイト時代を含め6年勤務したのち、東京・三田「コート・ドール」を経て2006年に渡仏。09年に帰国し、「カラペティバトゥバ!」を長 雄一氏と立ち上げ、シェフに。12年に東京・青山でラスを独立開業。13年に青山内で移転、現在に至る。
とても厳しい職場だったけれど、基本的には仕事は楽しい
――兼子さんはどのようにして料理人になろうと思ったのですか?
実はなんとなくで、あまりいいエピソードはないんです(笑)。ただ小学校の卒業文集には寿司職人になりたいと書いていました。あと母親が器用でいろいろな料理を作ってくれ、それが楽しかったことも影響したかもしれません。
調理師専門学校に進学すると決めたのは、大学に行くほど高校時代に勉強を頑張っていないし……という状況で職員室に行ったら、調理師学校のビデオがあったのを見て「いいかも」と思ったから。
それで大阪に行き、3校のオープンキャンパスに参加した中から、一番自分と会うかなと思った辻学園調理・製菓専門学校に行きました。
――学校ではどのような生徒でしたか?
実習はめちゃくちゃ頑張りました。誰よりも早く上手に作ろうと思いましたし、6人の班で料理を作る時もみんなで声を掛け合って、大体一番に作り終えたり。そういうのが、すごく楽しかったです。
あと、5月からフランス料理の「ベカス」でアルバイトを始めました。大阪で一番すごい店と言われていたので、働くのであればそこかな、と。朝から登校まで働き、学校が終わったらまた行くという生活を毎日続けました。
――ベカスは厳しさでも知られている店です。
はい。ただ、渋谷シェフ(渋谷圭紀氏)はすごく厳しいのですが、仕事は僕にとっては本当に楽しかったです。言われたことをきちんとやること自体が楽しいし、ちゃんとやったら褒めてくれる。学生ながら朝も、夕方から夜も働くので重宝していただいたのも嬉しかったです。
学校は1年のコースで、卒業したらそのままベカスに就職しました。アルバイトを含め、6年間お世話になりました。
――働き始めて、慣れずに苦労したり、キツくて音を上げそうになったことはありましたか?
そうですね。さっき言ったように、仕事は基本的には楽しかったです。ただ、もちろんやらなくてはならないことの量が多いし、細かい決まり事も本当に多い。それを全部守りながら料理を作り、なおかつシェフに気を遣う。精神的にも肉体的にもすごく疲弊します。あと、手取り足取り教えてくれる職場ではなかったので、全力で先輩やシェフを観察し、自分で考えて覚えるしかない。
でも、そうしたことを長年やっていると感覚がすごく研ぎ澄まされるんです。でないと、店で生きていけないから。おかげで、シェフの動きの先を読んで求められる道具をサッと出すといったことができるように。その時ごとの厨房全体の動きを把握し、自分がスムーズに仕事する流れも見えるようになりました。
実は僕、結構器用なんです(笑)。「どうしたら効率よくできるか、ミスを避けられるか」をいつもしっかりと考えて動いていましたね。
次の店では理不尽な苦労。無理なので辞めた
――では、苦しくて仕事をやめたくなる……ということはなかったのですね。
いや、それはありました。ベカスの次で働いた都内のとある店で、ボロクソに言われたんです。たとえば、ベカスはまかないを作らない店だったのですが、新しい店は作る。でも僕は全然上手に作れなかった。それで「仕事のできないヤツ」とレッテルを貼られ、実際その店ではベカスのようにはうまく仕事ができず、見下され続ける。意地悪もされる。それでメンタルが崩壊しかけたことがあります。
そんな中、ある時、「ここにいてはダメだな」と思う決定的な出来事があって店を辞めました。辞める決断はよかったのですが、その時は思考がまともに働かないほど精神的に弱っていて、料理を辞めようとまで思い詰めるほど。実際、他の仕事も探したのですが、そんな精神状態ではいい仕事と出会えるわけがありませんよね。
こんな感じで途方に暮れている時、ふと、前に『調理場という戦場』という本で読んで知り、人として尊敬していた斉須政雄シェフの「コートドール」に行ってみようと思ったんです。料理の道を続けるかどうかの最終決定はそこでしよう、と決めて足を運びました。
斉須シェフに会って、今までの自分について、正直に洗いざらい話しました。前の店でダメなヤツ扱いされていたこと、きちんと仕事ができなかったことも。
そうしたら、斉須シェフに「君は今、何歳?」と聞かれたので「25くらいです」と答えたんですね。それに対しシェフは「普通だよ! その歳でできないのは当たり前だ。普通だよ!」と言ってくれました。そんなこと言われたことがなかったので、この言葉でものすごく救われたんです。
そこから2年半、コートドールで働きました。
――コートドールでは、精神面、仕事面でどのように働いていましたか?
精神的に平和に、仕事面でもしっかりと戦力になって働くことができました。シェフとの相性がよかったのもあると思いますし、ベカスの時代に磨いた感覚も非常に役立ったのです。
具体的にいうと、渋谷シェフのもとで鍛えられた観察力で、斉須シェフの動きの先を読んで対応するとともに、シェフが嫌がること、大切にしていることを察し、理解できたのです。
斉須シェフが嫌がることというのは、たとえば素材や道具をぞんざいに扱うこと。一方大切にしているのは、料理の本質は味だと徹底すること、業者さんであろうとお客さまであろうと、どのような人にも対等に、誠実に接すること。そうした、人として大切なことも斉須シェフからはたくさん学びました。なので、斉須シェフは僕の人生の恩人だと今でも思っています。
ベースを作ってくれた日々
――ベカスとコートドールは大きく異なる環境ですが、それぞれで学ぶことが多かったのですね。
本当にそうです。お二人のシェフのもとでの年月があるから今の僕があるのです。
必死で働き、神経を磨き、精神力を鍛えたベカスの6年間で、僕は普通の人が20年くらいかけて習得することを凝縮して身につけることができたと思っています。だから、コートドールでも存分に仕事ができた。
ベカスの頃は毎日疲れ果てるくらい神経を張って大量の仕事をやってきましたが、コートドールではさすがにそこまでは求められないんです。だから残されたエネルギーでソムリエの勉強、語学や料理の勉強を自主的に、精力的にやることもできた。
このようにベカスとコートドールでがむしゃらだったから、今、他の誰にも負けない自分の土俵のベースを作ることができたと思っています。
※後編では、フランス修行を経て作った「誰にも負けない自分の土俵」の内容を聞くとともに、学生に向けたメッセージをお伝えします。後編はこちら
L’AS ラス
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