プロフィール
「イル・ポーベロ・ディアヴォロ」オーナーシェフ
羽田達彦(はだたつひこ)氏
1985年 大阪府貝塚市生まれ。高校卒業後に辻学園調理・製菓専門学校に入学。卒業後、北浜のイタリアン「スカーラ」に就職し、2年半を過ごす。その後、渡伊してトリノやボルツァーノのリストランテ、ローマのオステリアで1年ほどを過ごし、リミニの「イル・ポーベロ・ディアヴォロ」で3年間勤めた。
2012年に帰国すると、再度「スカーラ」に入店して2年間シェフとして腕を揮い、2014年に独立。大阪木津卸売市場内に自店を構える。2018年、「RED U-35」ブロンズエッグ受賞。辻調理師専門学校でも外来講師としてイタリアンの授業を担当する。
どんなコンセプトの店を開くか
目標を明確にすれば進む道が見えてくる
300年の歴史を誇る大阪木津卸売市場内に店舗を構える「イル・ポーベロ・ディアヴォロ」。基本的な食材の仕入れはすべて市場で行い、魚料理をメインにしたコース1本で勝負しています。大阪の繁華街からは少し離れた場所にも関わらず、遠方からも客が足を運ぶ人気店。「自分の店を開くときは、立地も料理もコンセプトのある個性的なものにしたかった」と語るオーナーシェフの羽田達彦さん。イタリア修業時代の学びや料理への想い、今後の展望についてもお聞きしました。
イタリア料理の料理人になろうと決めた理由は?
とにかくイタリア料理の先生がカッコ良かった
そろそろ進路を考え始める高校生になっても、世の中にどんな仕事があるかということや、自分の将来についてもまったく考えてなかったんです。ただ、友人たちと出かけたりするお金は欲しかったから、家の近所の蕎麦屋さんでアルバイトをして。働く前には思ってもいなかった飲食店業務の面白さ、たとえば、お客様とのやりとりや調理技術の工夫などを初めて知りました。ここで働いたから調理に興味をもてた。親にも相談して調理師専門学校に進もうと決めました。
イタリアンの道へと決めたのは入学してからです。和食やフレンチなど数ある選択肢のなかからイタリア料理を選んだのは、指導してくださった先生が、とにかくカッコ良かったから。見事な技術で料理しながらわかりやすく解説してくださる。実際に料理も美味しかった。この人のような料理人になりたいと思ったんです。
卒業後は、迷わずイタリア料理店に就職。北浜にあった「スカーラ」という店です。ここでは2年半勤めさせていただき、イタリア料理の基礎を身に付けました。働きながら思っていたのは、このままずっとイタリア料理をやっていくなら、本場の味や店づくり、雰囲気なども感じるべきだということ。語学と現地の料理を身に付けようと、イタリアに留学すると決めました。
すぐに現地のレストランで働けたのですか?
現地のレストランを食べ歩き、自分が求める味を探った
ミラノの語学学校に入学して、勉強するかたわらいろいろな店を食べ歩きました。そして、ここはという店に出合うと、「働かせてほしい」とお願いしたんです。断られる店も多かったですね。トータルでイタリアには4年いたのですが、最初の1年間はトリノやボルツァーノのリストランテ、ローマのオステリアなど、それぞれ期間限定で働きました。その間も食べ歩きを続け、次の店を探す生活。そんななか、リミニの「イル・ポーベロ・ディアヴォロ」に出合い、どうしてもここで働きたいと頼み込んだんです。
すでに1年間イタリアで過ごした後だったので、言葉もある程度はわかっていたし、基本的な料理技術は身についていました。ただし、店にとっては、どこの馬の骨ともわからない外国人です。オーナーからは、まずは研修でと言われ、1週間働いて合格なら正式にということになりました。
ありがたいことに、当時のシェフに気にいってもらえたんです。彼も入店して3年目くらい。自分のやりたいことを模索しながら情熱を注いでいた時期で、僕は彼を支えられるよう、彼が思う仕事ができるよう努めました。
慣習や価値観も違う国での苦労もあったのでは
実力主義だからこそ頑張った日々
外国で働くと、いじめとまではいかないけど、多少はよそ者扱いされます。けれど、その原因を辿ると、結局は「仕事ができないから」なんです。そう思うと、我慢もできる。最初の1年間に勤めた3カ月間の約束で入った店は、「こいつは3カ月で辞める」と思われているから、そんなに大切にはしてもらえない。でも「イル・ポーベロ・ディアヴォロ」では、イタリア人と同じ扱いをしてもらえた。キッチンのなかでは、どこの国の出身かは問題ではなく、どれだけ仕事ができるかが肝心なんだと知りました。
入店した当初は、シェフと僕を入れて4人の店でしたが、その後ミシュランの星も獲ってだんだん人も増えました。そうなると、料理人を目指して働く人全てがライバルです。厨房は競争の場でした。「この料理できるか?」とシェフに聞かれ、「できない」と答えたら、二度と仕事はふってもらえません。何を命じられても、ある程度はできる力が必要だから、みんな必死で仕事を覚える。コースもアラカルトもある店だったので、仕込み作業も多かったし料理も多彩でした。
シェフのためが自分の力に
シェフは料理には厳しい方だったので、ついて行けず辞める人も多かった。でも僕は、この人の技を身に付けたいという想いもあったし、すぐに辞めて帰るわけにはいかない。もちろん朝は一番に厨房に入るし、常にシェフが求める以上に上手くつくることを目指していました。料理への熱い想いも力もある方だったから、想いをくみ取って確実にやれるとわかれば、次々に新しい料理も手掛けさせてもらえ、引き上げてくれる。
仕事にはシビアだったけど、僕に対しては、わかりやすいイタリア語で説明してくれる優しい方でした。この店で最終的にはスーシェフまで務めさせていただくことになりました。料理自体は、王道のイタリアンというよりは、彼の思う料理。そこも惹かれた理由です。いつか独立したら、この店の名前を使わせていただきたいと思いお願いしたところ、快く承諾していただけた。嬉しかったですね。
調理以外に学んだことは?
都会と田舎では調理も働き方も違う
たくさんあります。「イル・ポーベロ・ディアヴォロ」がミシュランで星を獲得し、パリの星付きレストランに招かれてコラボイベントしたことがあったんです。そのときに、シェフから「一緒に行こう」と言っていただき、パリのキッチンも体験しました。
パリのレストランは料理人も多く、すべてのスピードが速い。まさに戦場です。イタリアの田舎にあるのんびりした店と都会の店はやっぱり違うんだと驚きました。昼夜の営業だし、夜だけでも70人も客が来る。のんびりなんてしていられません。
その時に感じたのは、独立するまでに、どんな場所にどんな店を出すかを思い描いておくことも必要だということでした。パリのような都会で多くのお客様を迎える店なのか、街からは少し離れて自分のペースで料理をつきつめる店なのか。いろんな店で経験を積むことで、見えてくることもありますね。当時、そのパリの店では日本人も働いていて、彼とは今も交流しています。彼は今、日本の田舎でおおらかな店を構えています。パリの店での経験から、いろいろと考えた結果なのでしょうね。
ヨーロッパの働き方は日本の数段先を進んでいた
仕事の分業や交代制があることを知ったのもパリの店でした。1週間の滞在中、僕はミッションクリアするために朝イチに店にでて、昼の休憩もとらず、ずっと働いていました。ありがたかったのは、後片付けは専門の人たちがやってくれることでした。僕も長時間働いたけど、彼らも朝から晩まで不満も言わずよく働くなあと思ってたんです。でも、後で聞いたら彼らは二交替制で、朝から夕方までの人と夕方から夜中までの人は、別人だったんです。僕が、外国人の方の顔の見分けがつかなかっただけ(笑)。料理人が料理に集中できる環境をつくる、長時間労働はしないなど、都会の働き方を知ることができたエピソードです。
「イル・ポーベロ・ディアヴォロ」で3年間勤め、日本に帰ることにしました。イタリアの他の都市やスペインもめぐって、多種多様な料理を味わい日本に戻りました。2012年でした。
帰国後、すぐに独立されたのですか
原点にもどって腕試し
いえ、帰国後は、再度「スカーラ」のシェフとして2年間務めさせていただきました。スカーラらしい料理のなかにも、イタリアで学んだ料理や自分らしい工夫を盛り込みました。専門学校を卒業してすぐに働いたときとは、まったく違った視点で働けたことが、今に繋がっています。この2年の間に大阪での仕入れや経営観も培えました。
ただ、自分のつくりたい料理や想いをそのまま実現するには、自分の店を開くしかないとも感じました。当初から2年間の約束で勤めさせていただいたこともあって、「この後は独立」と考えました。
後半へつづく
イル・ポーベロ・ディアヴォロ
大阪市浪速区敷津東2-2-1-317
☎06-4395-5150