辰巳屋 8代目主人 左聡一郎
1978年、京都府生まれ。10代の頃は、引越しサービス業、飲食店、古着店などでアルバイトをし、20歳で神戸の老舗料亭「松廼家」へ修業に入る。1年後、父の勧めで金沢の料亭「山乃尾」に入店して3年、さらに金沢のカウンター割烹で2年の経験を積んで腕を磨き、2009年、27歳で実家に戻る。2018年に40歳で代表取締役に就任。店主としてメニュー開発や新たな市場開拓などに力を注ぐだけでなく、コロナ禍以降は宇治の活性化、生産者支援などさまざまな活動に取り組んでいる。
1978年、京都府生まれ。10代の頃は、引越しサービス業、飲食店、古着店などでアルバイトをし、20歳で神戸の老舗料亭「松廼家」へ修業に入る。1年後、父の勧めで金沢の料亭「山乃尾」に入店して3年、さらに金沢のカウンター割烹で2年の経験を積んで腕を磨き、2009年、27歳で実家に戻る。2018年に40歳で代表取締役に就任。店主としてメニュー開発や新たな市場開拓などに力を注ぐだけでなく、コロナ禍以降は宇治の活性化、生産者支援などさまざまな活動に取り組んでいる。
将来のビジョンを定め時間を逆算する
目標を達成するためにはスピード感も必要
1840年から続く京都・宇治の老舗料理屋を継ぎ、伝統を守る一方で、自店の革新や地域の活性化、新たな市場の開発にも取り組んできた「辰巳屋」8代目主人左聡一郎さん。老舗に生まれるという境遇について、老舗を変革することについて、また料理人としての矜持、学生さんだけでなく若い料理人へのメッセージもお聞きしました。
実際に8代目となられ、改革されたこととは?
料理人である前に人として大切なことを知ってほしい
料理をより良いものにするための改善や努力は、当たり前のことです。名物の抹茶料理も、数品ではなくコースとしてお出しできるよう、新たな味を生み出しました。
料理やサービス以外で、大きく改革したのは、スタッフたちとの関係や労働環境の改善です。まずは、いくつかルールを設けました。
職場ではお互いをあだ名や下の名前で呼ばず、苗字で呼ぶようにしています。プライベートでは〇〇ちゃんでもいいかもしれませんが、職場では、ナアナアの雰囲気を出さないことが大切だと思っています。
お客様はもちろんですが、仕入れ業者さんやスタッフ同士も、話をするときは相手の目を見る。そして、挨拶やお礼をする時は、帽子をとる。昭和的かもしれませんが、そういう礼節をわきまえることが人として大切なことで、それはきっと誰にとっても将来の糧になります。
誰もがきもちよく働ける場をつくりたい
年に1度はスタッフ全員と個別に面談して、「困っていることや問題だと思うことはないか」に加え、将来の夢もふくめた今後の予定、自身の人生設計を尋ねます。何かしら働きづらさがあって辞めるようなことがあってはもったいないからです。さらには、スタッフの忌憚のない意見が、よりよい環境づくりやお客様へのサービスに繋がることもあります。
面談では言いにくい個人的なことは、女将が日々のやりとりのなかで聞いてくれています。僕には言いにくいことも女将には言えるようです。女将がスタッフ間や僕との間に入ってくれることで、職場がより和やかでスムーズになっているように思います。
他府県から京都へ来ている人のなかには、いずれは出身地にもどって実家を継ぐ、あるいは自分の店を地元で持ちたい人もいます。そんなスタッフとは、何年後に出身地に戻る予定かなど具体的な計画も聞いておくことが、時間を無駄にせずにすむと考えます。
人材確保で困られたことはありませんか?
他府県の専門学校を訪ねることで人材不足を回避してきた
採用については、15年くらい前から実践していることがあります。僕自身が、京都府以外に出ることがあったら、必ず訪ねた先の都道府県の調理師学校を調べて挨拶に行くのです。そこで、「辰巳屋」についてご説明するとともに、先生方の想いや指導方針をお聞きします。うちは、京都市内の老舗料亭さんほどには有名店ではないので、名前だけで来てくれる人はそれほどいません。けれど、この訪問活動を続けてきたことで、北海道から沖縄まで、他府県からも就職してくれる人が増えました。
今では、京都のほかの料理屋さんでも、うちのように他府県の専門学校に足を延ばして、自店への就職を依頼される店が増えたそうです。京都のお店が人材不足に陥らなければ、そんな嬉しいことはありません。
コロナ禍はどのように乗り切られたでしょう?
新たな挑戦が良い結果に繋がった
僕は、性格上じっとしていられないんです。だから、コロナ禍にあってもお店は変わらず営業し、長期休業などは取りませんでした。逆に、「コロナ禍だからこそできることがあるはずだ」と考え、新しいことに挑戦しました。たとえば、テイクアウトやデリバリー、宇治市内に料理人が出向く出張料理、全国の百貨店の催事にも積極的にでるようにしました。すると、コロナ禍で売り上げが落ちるどころか、良くなる結果になったのです。これまでは刀1本でやってきところを、3本にも4本にもできたということです。とにかく新たなことを思いついたらすぐ行動にうつす。失敗したとしても、それは勉強でしかありません。挑戦する気持ちが失ってしまうことは非常に怖いことだと感じています。安泰は立ち止まってしまうことと同じ、前進してこそ満足感と達成感が得られる。自分はそんな性格だということを40代に入ってしっかり理解しています。笑
街を元気にして、皆でコロナを乗り切りたい
うちのような料理屋は、誰もが非日常を求めて来られる店です。つまり観光の方や、地元の方でも記念日など特別な日に訪れる店なんです。そう考えると、まずは、毎日人が訪れる地域のお土産店やカジュアルな飲食店が元気にならなければ、自分たちにも盛り上がりの順番は回ってこないと考えました。ならば、まずは地域を活性化させたり、地域の生産者を支えたりすることから始めるべきだと。
そこで、「宇治の青空レストラン」や伝統工芸をクローズアップする「ワークショップ」などを開いて、近隣の方だけでも来ていただこうと活動しました。地元のために活動しているうちに、地域の方とも太い絆ができ、僕の考えや仕事のスタイルも認めてもらえるようになりました。そんな関係性ができれば、今後も地域で何かをするときに、大きな力になります。コロナは大変だけれど、やるべきことをやってよかったと思っています。
今後の展望をお聞かせください。
地域とともに成長していく未来を描きたい
宇治を盛り上げるためにどうすればいいかと日々考えています。地域の皆さんと協力してできることはたくさんあると思うので、まだしばらくはそこに力を注ぎたいと思います。
父親から言われていることのひとつに「細く永く」があります。テレビなどでブレイクしても、そんな人気はすぐに消えてしまいます。目の前だけを見るのではなく、もっと先まで見据えて動かなければと思います。20代、30代よりも、明らかに体は弱っています。根をつめると、すぐに疲れる。若いときのままで突っ走るのは難しいからこそ、「50歳になったらこんなふうにしよう」と考え、仕事スタイルも変えていく。若いスタッフに任せるところは任せ、僕自身はもっと頭を使って、より先を考える立場になっていかなければと思います。
もちろん、筋トレやランニングなど身体を見つめ直す努力は怠ってないですけどね笑
学生さんたちが今しておくべきことはどんなことでしょう?
時間を有効に使う感覚をもっておくことは大切です。この店で何年キャリアを積み、何年後に独立すると計画しておくと、今何をすべきかが見えてきます。
若いうちから人間関係をきちんと築くことも大切です。専門学校にいる間も、先生や仲間との距離の取り方や協調を常に考えてください。チームメイトへの気遣いができない人は誰に対しても気遣いができせん。
いつかは独立と考えているなら、食材のことをよく勉強し、どんなルートで仕入れるかも頭に入れておくこと。たとえば、京都で修業をした後に地元に帰って独立するなら、地元に帰ってからも、いったんはその街で同じような料理屋さんに修業に入ったほうがいい。食材の仕入れや地元のネットワーク、そこに住む人の嗜好もわかります。京都や東京の一流店で修業をしたとしても、自店を良い店にするには、その地を知ることが大切です。
最後に学生さんたちにメッセージをお願いいたします。
後悔は、やりたいことをやってから
僕は何もせずにする後悔が一番嫌です。やりたいことをやってする後悔と、それをあきらめてする後悔では違うからです。やりたいことはやったほうがいい。失敗することはあるかもしれませんが、そこからどう立ち上がるかを、あらかじめ自分で考えておけば、自身の成長や成功をもたらしてくれるはずです。
京料理・抹茶料理 辰巳屋
京都府宇治市宇治塔川3-7
☎0774-21-3131