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この連載では、新しい視点で自分らしい働き方をする若手シェフにインタビュー。どうやって自分らしさを見つけたか? どうやって今、自分らしく働いているか? シェフたちの道のりや、現在の仕事について聞きます。
vol.13 オード生井祐介(後編)
自分の中の「好き」を尖らせる。それには自信と時間が必要
「オード」(東京・広尾)のオーナーシェフの生井祐介さんは、音楽活動を経て25歳から料理の道に入った、やや遅いスタートの料理人です。ただし生井さんは修業開始後、自然体でていねいにステップアップを重ね、2017年には自分の店をオープンするに至ります。今はミシュランの一ツ星や、「アジアのベストレストラン50」の13位という高順位を獲得する大注目の料理人。それでいて、地に足をつけてマイペースを保っています。
そんな生井さんのインタビュー、前編では修業時代のことをお聞きしました。後編の今回は、修業を終えてシェフになってからの話。どんな目標をどう実現してきたか。何を大事にして仕事を続けているか。若い料理人に向けてのアドバイスとともにお聞きします。
生井祐介 なまいゆうすけ
1975年東京都生まれ。バンドでの音楽活動の後、都内のレストランで働きはじめる。植木将仁氏がオーナーシェフを務める「レストランJ」(東京・表参道)で修業し、その後植木氏の軽井沢移転に同行。のちに「ウルー」(軽井沢)でシェフを務める。2012年に東京に戻り「シック・プッテートル」のシェフに。2017年に独立し「オード」をオープン。ミシュランガイド2019年度版より一ツ星。2020年より「アジアのベストレストラン50」にランクインし、2022年は13位。
SNSのおかげで、軽井沢と東京の距離は感じなかった
――修業を終え、シェフとして働くようになったのはいつからですか。
30代前半の頃です。植木シェフのもと、東京と軽井沢で合計約5年間お世話になった後、同じ軽井沢で「ウルー」という店のシェフになりました。やはり軽井沢が楽しく、この場所であと何回か四季を体験したいと思ったのです。軽井沢では3年間シェフを務めました。
――その間、東京が気になることはありませんでしたか?
東京で活躍している同世代のシェフたちのことは気になりました。彼らが専門誌にどんどん登場しはじめていた頃でしたから。
それに対して焦りはありましたけど、「自分も世に出よう、自分の料理を発信しよう」と刺激になってくれた面の方が強かったです。その時(2010年前後)、ちょうどシェフたちの間で急速に広まりはじめていたSNS が大きな働きをしてくれました。
僕はベテラン、若手に関わらずシェフたちのことをマニアックに調べるのが大好きで(笑)、どんなシェフがどんな料理を作っているか専門誌で細かくチェックしていました。SNSがあれば、軽井沢にいても、そうした「雑誌の中」のシェフたちと交流できる。僕の料理に対してリアクションしてくれることもある。SNSを通じて、彼らの中に入っていくことができるんです。
そんな状況でしたので、東京との距離感は本当に感じなくなりました。自分はSNSの恩恵を大きく受けたと思っています。
はっきりとした目標はコンプレックスを払拭してくれる
――東京に戻ったのは、どのような経緯からですか。
東京で店を開きたいというオーナーの方に声をかけていただいたのです。自分の中では、次に進むよいきっかけとなりました。
東京に戻って「シック・プッテートル」をオープンする際、強く心に決めていたことがありました。一つは、フランス料理業界に自分の名前をきざむということ。もう一つは、ミシュランの星を獲るということ。
僕はミシュランの星付きの店で修業したことがなく、フランスでの修業もしていないことに少なからずコンプレックスを持っていたんです。料理をはじめた歳も遅かった。はっきりとした目標を持つことは、そうした後ろ向きの意識の払拭にもつながります。
なのでシック・プッテートルが一ツ星を獲った時は嬉しかったですね。自分が先に進むために絶対にクリアしなくてはいけない壁を、まずは越えられた気持ちでした。
――シック・プッテートルで5年間シェフを務めたのち、2017年にご自身の店「オード」をオープンします。
オードのオープンの際に、スタッフにはっきりと伝えた目標があります。それは、この店でミシュランの二ツ星を獲ること。二ツ星は料理だけでなく、しつらえやサービスといった総合力が見られるステージ。もちろん簡単に獲れるものではありません。今も挑戦中です。
あともう一つの目標は、「アジアのベストレストラン50」でのランクインを狙うこと。このランキングは料理や店全体のクオリティとともに、時代性も反映すると言われています。海外のお客さまからの支持も問われます。
――海外を意識するようになったのには、何かきっかけがあったのですか?
――海外を意識するようになったのには、何かきっかけがあったのですか?
もともと自分は、海外の文化をかっこいいと思うタイプ。子供の頃から英会話に興味を持ち、洋楽や海外の映画に親しんで育ってきた人間です。なので自分でレストランを持ったなら、世界のいろいろな人と交流できる店にしたいと思い続けていました。
「海外のお客さまにも喜んでいただける料理、しつらえはどんなだろう?」「彼らに伝わる『今の日本』らしい表現とは?」という目線で店を作りましたし、その意識は今も常に持っています。
回り道したぶん、自分の「好き」には自信がある
――「流行」や「時代」を意識することはありますか?
流行はあまり好きじゃないですね。時代については、街を歩いたり音楽を聴くなど、生活の中でアンテナを張っていれば特に意識しなくても表現に反映されると思います。
ただし時代を表現しようと思うよりは、結局は自分の中の「好き」「かっこいい」「おいしい」を信じて尖らせていく方が大事かな、と思っています。口に出す出さないは別として、自分の店を軌道にのせているシェフたちはみんな、その部分に自信を持っているのではないでしょうか?
――では、どのようにして自分の中の「好き」に自信を持つことができるでしょうか。
それは、人それぞれだと思います。自分に関して言えば、僕は本当に回り道したぶん、時間をかけていろいろなものを見てきたつもりです。だから「こういう感じが好き、かっこいい、おいしい」は自分だけのものだという自信は、やはりあります。
もちろん、小さい頃から料理人をめざし、有名店で修業し、フランスでも一流店で働いて……という一直線で歩んできた人も、自分の「好き、かっこいい、おいしい」があるはずです。ただしあまりに一直線だと危ういかもしれません。趣味を持つなど、広い視野で自分を深掘りできるといいのではないでしょうか。
最短距離で夢に到達するよりも……
――今の時代は情報にあふれているので、意識して自分の好きなことを見きわめなくては流されてしまいそうです。
そうですね。今は、最短距離で自分の夢に到達しようと考える頭のいい子が多いです。それこそSNSなどのツールを使えばいろいろなコネクションを作るのも簡単です。
要領の良い人なら、情報とコネクションを生かして、流行のキーワードをうまく組み合わせた店を作ることは難しくないと思います。そうした店には、最初はメディアも取材に来るでしょう。でも料理に自分というものが強く出ていないと、一時的なブームとして消費されてしまいます。
もちろん流行を意識したのではなく、感銘を受けた――たとえば地方で尖ったレストランを成立させたシェフに心から感銘を受けたので自分もやりたい、というのは全然問題ないです。ただし、そのシェフは先駆者として、自分のやりたい新しい道を開拓し、メッセージを強く発信し続けてきたから今がある。時間がかかっているのです。なのでそれを学び、自分のものにするには相応の時間がかかることは知っていてほしいです。
長く料理人をやるつもりなら、先走るのはかえって遠回りです。腰を据えて、時間をかけて修業し、自分を知ることは必要だよ、と伝えたいです。
Ode オード
東京都渋谷区広尾5-1-32 ST広尾 2F
TEL 03-6447-7480
撮影 小沼祐介