竹内啓二(たけうちけいじ)氏
1977年 岡山県生まれ。高校を卒業後、2年間のサラリーマン生活を経て、辻学園TEC日調に進学。卒業後は「トラットリア・ピノ」で5年間、「ポンテベッキオ」3年間修業し、知人の店を手伝ったのち、3ヶ月イタリアで過ごす。帰国後は「ラ クッチーナ ハットリ」、「ウンゴッチョ」で腕を振るい、2010年5月、福島に「イル ルォーゴ ディ タケウチ」を独立開業。その後、姉妹店として2013年2月に「マチェレリーア ディ タケウチ」、2015年5月「パラディーゾ デル ヴィーノ タケウチ」、2019年3月に「トレーロ タケウチ」をオープン。今年の秋には5号店も控えている。
本店と2号店は2014年から毎年「ミシュランガイド大阪」のビブグルマンに選ばれている。
33歳で、いよいよ独立開業を果たす
スタッフが個性を発揮する店舗展開も注目
炭火焼をメインに素材の持ち味を引き出したイタリア料理が大人気の「イル ルォーゴ ディ タケウチ」。大阪はもとより、遠方から足を運ぶファンも少なくありません。オーナーシェフの竹内啓二さんは33歳で独立したのち、数年のうちに姉妹店を次々にオープンさせていきますが、そこには竹内さん独自の考えがありました。独立までの道のり、料理人、経営者としての思いなどを伺います。
イタリアから帰られて、すぐに独立されたんですか。
地元で独立することも一時は考えた
いや、そこから結構ふらふらしていました。古川さんという「ポンテベッキオ」時代の先輩シェフがイタリアで働いていまして、帰国したら店を任せてもらうことになっているから手伝ってほしいと言われていたんです。でも、僕が帰ったときにはまだ古川シェフはイタリアにいて。どうしようかと思っていたところに、別の先輩から働いている店で人が足らないから来てほしいと言われ、シェフが帰国するまでの間、その店を手伝いました。
そのとき、地元に帰ることも考えたんです。でも、食材の流通の問題、人材のことも含めて考えると、やっぱり地元で商売するのは厳しいなあと。とはいえ、まだ大阪で独立する勇気もなかったし、古川さんがやる店は絶対忙しくなるだろうから、そういう店で経験してから考えてもいいのかなと思ったんですね。それで、1年後、帰国した古川シェフが行かれた土佐堀の「ウンゴッチョ」という店で、僕も働くようになりました。
自分がやりたいことをやるために独立を決意
ところが、その古川シェフが途中で辞めてしまわれて、僕が料理長を任されることになったんです。「ウンゴッチョ」では本当に自由にやらせてもらえたのですが、100パーセント自分がやりたいことができているかといえば、多分できていなくて。もともと古川シェフのためにつくられたお店で、僕の思いでできているわけではない。厨房の設計、席数、お皿やカトラリーなどの設備など、細かいことの積み重ねが、自分のやりたいものと一致しなかったんだと思います。本当に思い通りにやりたいのなら、独立するしかないなとそこで思ったんですね。それは自分に自信があって独立を決めたわけじゃなくて、消去法ですよね。辞めてどこかで働いても結局一緒かなとなって、3年間勤めたあと、33歳で「イル ルォーゴ ディ タケウチ」をオープンしたんです。
独立資金はどうされましたか? また店づくりで条件にされていたことは?
独立資金はどうされましたか? また店づくりで条件にされていたことは?
お客さんに元気になってもらえる店に
20歳のときから積立貯金をしていて400万ぐらいあったのと、国金から1千万、親から400万を借りました。その1800万円を元手に、運転資金はなしでスタートして、足りない分はリースなどを利用したりしていました。
飲食店って、やっぱりお客さんの喜びがじかに伝わるのが、一番の楽しさだと思っていて。お客さんの顔を見て料理がしたいというのがあったので、まずカウンターは絶対にほしかった。それと基本オープンキッチンですね。スタッフに見て、感じて、考えて行動してほしくて。
店のコンセプトとしては、「ポンテベッキオ」のときに炭火で焼いたものがおいしくて魅力を感じていたので、炭火焼を掲げました。店名にある「イル ルォーゴ ディ」は英語でthe place、場所という意味。食を通じてお客さんに喜んでもらったり、元気になってもらえたりするような場所になってほしいという思いでつけました。オープン当初は結構暇で、大丈夫かなと思ったときもありました。雑誌で紹介されて忙しくなって、また暇になって、をしばらく繰り返しながら、徐々に上がってきた感じです。
人に任せることの必要性に気付いて
2号店を出したのは、開業から2年半後くらいです。僕の横でずっと仕事をしてくれているスタッフがいて、自分で独立したいという思いがあったのですが、僕はもしこのまま辞めて独立したら最初苦労するなと思っていて。じゃあ、その子が主役になれる場所をつくってあげようということでできたのが、2号店なんです。
僕も初めての店舗展開だったので、最初は苦労しました。本店の営業終わりに2号店に行って、どんなふうにやっているかを見て、これは違う、こんなこと教えてないよねと。サービスも、これはうちのやり方違うやろ、という感じで指示を出していました。僕が以前働いていた職場では、こうしたらおいしくなるという確立された調理のやり方があって、それを末端まで理論として叩き込まれるんです。店舗数が多いし、違う店舗でやり方が違うというのはダメでしたから。だから、僕にもその影響がどこかに残っていたんだと思います。
でも、よく考えたら、本店と2号店は客層も料理も違うわけで、このままだとこの子は自分で考えて行動できなくなるんじゃないかと。この子のために店をつくったのだから、この子を信じたらいいのではと思ったんです。それで何かあったらちゃんと言いなさいよと言って、信じて料理を任せることにしました。任せてしまってからは、すごく楽ですね。お客さんが喜んで、満足して帰るという答えに向けて、自分で考えて行動して料理する。正解は一つじゃなく、100人いれば100の料理のやり方があるし、スタッフにとっても自分で考えたほうが絶対に達成感があるので。だから、今は結構スタッフには任せています。
人を採用するときの基準はありますか?
やる気と、あとは適材適所。僕は偏った人間なので、料理しかできないんですよね。サービスとかお客さんとしゃべるとか、向いてないなと思っていて。そういうのが得意な子らにやってもらったらいいんじゃないかということで、信頼できる人を探して、育てるという感じです。だから、とりあえずやる気があれば、その子に合ったポジションを用意してあげて、そこを伸ばしてあげたらいいと思っています。
料理人にとって大切なことは?
基本を守りつつ、柔軟に対応する力が必要
もちろん、やる気があって頑張るのは大事ですし、料理人としての柔軟性はほしいですね。コロナ禍のこともそうですし、今はネット社会で情報が早くて、料理にも流れがあると思うので、あまり凝り固まりすぎず、柔軟にいろいろな物事に対応していく。もちろん基本的なことをしっかり勉強して基礎をつくった上でですが。
例えばいろいろな飲食店があって、自分はここの店でこれだけ経験してきて、これが正しいと思っていても、別の店にはその店のやり方があるわけで、それを柔軟に吸収していくほうが、得るものも多いですし。だから、自分で店をやるときにも柔軟に周囲を見て考えていくのがいいのかなと思います。せっかく頑張って独立しておいしい店ができたとしても、それができずに潰れてしまう店も多いので、もったいないなと。
今後の展望を教えてください。また、学生さんへのメッセージをお願いします。
仕事に楽しみを見つけるほうが長く頑張れる
僕の横で7年くらい働いている子が店をやりたいというので、秋に5店目を出す予定です。これまで僕が店やろうといってできたお店って、ほぼないんですよ。ワインバーもスタッフのためにつくったし、梅田のお店も阪急さんからお声をいただいて、当時ここにいたシェフが希望して行ってやっていますし。それぞれシェフに任せているので、店のコンセプトも料理も全部違っています。
個人経営の飲食店って、やっぱり弱いと思うんです。コロナ禍で潰れる店も多かったし。だから、僕はスタッフに独立しなくてもいいかなと思わせる環境をつくりたいと思っています。独立するのも一つの道ですが、一人で店を立ち上げてやるのって孤独で苦しいと思うので、信頼できるスタッフがやりたいと言ったら、チャンスを与えてお互いが大きくなっていったらいいのかなと。それだと、この店はこうしたほうがいいとか、こういう料理がいいとか、サービスマンやほかの店舗の料理長など皆で一緒に考えてアドバイスできるじゃないですか。だから、僕は大きい組合みたいなものができたらいいのかなあって。個のお店が集まってそういう組合をつくってあげることで、助け合いができますから。
それからメッセージですが、飲食店はしんどいことが多いんですけど、しんどいばかりじゃなくて、その店で早く何か料理への楽しみを見つけてほしいですね。そのほうが長く続けて頑張れるんじゃないかなと思います。
イル ルォーゴ ディ タケウチ
大阪市福島区福島5丁目1-26 1F