この連載では、新しい視点で自分らしい働き方をする料理・製菓業界の若手にインタビュー。どうやって自分らしさを見つけたか? どうやって今、自分らしく働いているか? 今に至る道のりや、現在の仕事について聞きます。
Vol.10パティスリーイーズ大山恵介(前編)
器用の裏で、めちゃくちゃ努力した
2020年7月、東京・兜町にオープンした「パティスリー イーズ」。シェフパティシエの大山さんは、長くレストランのパティシエとして経験を積み、世間の評価を得た後にお店を開業しました。オープン前からその動向が注目されていた、若手随一の実力を備えたパティシエです。
2回にわたってお届けする大山さんのインタビューの前編である今回お伝えするのは、大山さんの製菓専門学校時代と、最初に就職したパティスリー「イデミスギノ」での修業経験について。押し寄せる無理難題を乗り越え続けた経験を話してくれました。
大山恵介 おおやまけいすけ
1986年生まれ。日本菓子専門学校出身。在学中から「イデミスギノ」で研修し、卒業後に就職。その後渡仏し、アルザス地方のオーベルジュで働く。帰国後は「アルジェントASO」「リストランテASO天神」「レストラン ラ フィネス」「レストラン シンシア」など、レストランのパティシエとして経験を重ねる。2020年に「パティスリー イーズ」を、2021年姉妹店「ティール」をオープンする。
学生時代から「速く、綺麗に」を習慣に
――大山さんは、どのようなきっかけでパティシエになったのでしょう。
小学校の家庭科で習ったチャーハンを家で作るなど、もともと料理が好きでした。その延長線上で高校卒業後の進路を考えた時、大学に行くより専門的な技術を身につけたいと思い、料理の学校に興味を持ったんです。最初は料理も製菓も分けて考えてなくて、「まずは見学に行こう」と行った製菓の専門学校に入ることにしました。
――学校ではどのような生徒でしたか?
1年生の時はちょっとふざけていたけれども、2年になってからまじめになりました。ただし朝練と夕練には1年生の時から毎回出ていて、そのために5時台の電車に乗って通っていましたね。家から学校までが結構遠くて、1時間45分くらいかかったので。
――朝練夕練欠かさないとは、熱心な生徒ですね!
のめり込むタイプなんです。ゲームでもなんでも(笑)。これと決めたら、ずっとやっているような。
あと、何をするにもスピードを大事にしていました。実技の授業では、とりあえず自分の作業を早く終わらせて、先生の次のデモンストレーションを最前列で見る……というのをくり返していました。先生の手元をしっかり見たいし、とにかく速くやることに命をかけていた(笑)。もちろん綺麗に、です。
こう動くようになったのには、一応きっかけがあります。一年生の時、同級生に「ダラダラやるな」って言われたことがあったんです。それでムカッときて「じゃあ速くやってやるわ!」ってなりました(笑)。
――大山さんの最初の就職先は、東京の京橋にあった伝説的なパティスリー「イデミスギノ」です。どのようにお店を知りましたか?
1年生のクリスマスくらいの時期、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」でイデミスギノの杉野英実シェフが出ていたのを見て、この店を知りました。
番組を見たら杉野シェフの世界に引き込まれ、まずは一度食べに行こうと思ったのです。それでお店にすぐに足を運んだのですが、番組放送直後ということもあり長い行列ができているし、すぐに売り切れている。そのことがまず衝撃的でした。「こんなパティスリー、あるんだ!」と。
どうしても食べたい。なので朝の6時台から1番に並びました。そうして、ようやく買えたケーキを食べたらおいしさにまた衝撃を受けることに。それと同時に、「ここで働こう」と決意しました。
――イデミスギノではどのようにして働くようになりましたか。
まずは、研修から入りました。
2年生の4月、就職活動が解禁になるタイミングで速攻お店に電話して、面接を受けたんです。1回目は「雇わない」と断られてしまいまったのですが、先輩に聞くとどうやら杉野シェフは、基本的に1度は面接でみんなを落とすらしい。
それで、また面接をしてほしいと頼み込み、2回目の機会を得ました。その時は気合を見せようと思い、頭を坊主にしたんです(笑)。本当にツルツルの坊主にスーツ姿で行ったら気に入ってくれたようで(笑)、無事採用に決まりました。それが5月頃です。
それからは土日祝日、夏休み、クリスマス……と、学校の休みという休みは全部、店で働いていました。そんな感じで卒業前に10ヶ月くらい研修し、3月の卒業式の翌日から入社。かなりあわただしかったです(笑)。
普段から全体を見ていれば、突然振られた仕事にも戸惑わない
――厨房ではどのような仕事をしていましたか。
当然最初は一番下の洗い物からはじめますが、僕は研修で10ヶ月間働いていたので、同期が入社してくるタイミングで先輩のような立ち位置になりました。
さらにその後、僕が正式に入社して3ヶ月くらい経った頃、先輩たちがたて続けに辞めることに。急に僕がシェフの横のポジションに就くことになったんです。新卒3ヶ月なのに、実質厨房内の2番手。不思議な状況ですよね。世界的なレジェンドの隣に、新卒が立っている。でも、やるしかないです。
シェフの次のポジションですから、新しく入ってくるスタッフへの指示出しもしました。もちろん中途で入ってくる人に対しても、です。
――年上の人に指示を出すのは、やりにくいと感じたことはありましたか?
いえ、特には……。あまり年齢は気にしません。やはり、仕事ができるかできないかですから。
たとえば僕と誰かが隣に並んで同じ仕事をすることになると、たいてい競争になるんです。どれだけ速く、きれいにできるか。で、だいたい僕が勝つ(笑)。そうなると相手は一応僕のことを認めてくれるので、指示も出しやすくなります。
――シェフの隣でいつも補佐していたら、学ぶことも多かったでしょうね。
かなり学べたと思います。僕がイデミスギノで働いたのは研修も含めてトータルで1年半くらいですが、濃密な時間でした。
杉野シェフは、本来は直接技術を教えるタイプではありません。でも僕に先輩がいない状況だったので、シェフはまず僕に教えるしかない。その点はラッキーでした。
とはいえ、基本的に「見て学べ」の職場。教わっていないことでも、突然「やれ」と振られることも多かったです。しかも、それができないと怒られる(笑)。正直、その時はキツかったです。でも、成長はできたと思います。
――教わっていないことをやらなくてはいけない。どうやってそれを乗り越えたのですか?
僕は手元と同時に全体も見ていたいタイプなので、研修の時から先輩の仕事を、自分の仕事をしながら横目で見ていたんです。なので急に振られても、まったく想像ができないということはありませんでした。
もちろん、いきなり100点はできません。当然「なんだこれは!」と怒られるのですが、そんな時も「何が悪かったのか」を聞くことは忘れませんでした。それで修正し、次からは完璧を追求するのです。
――学びのチャンスを逃さなかったのですね。
そうかもしれません。ただ、シェフには「お前は器用すぎる、教えたことに対するありがたみがない」と毎日言われていました。
たしかに、器用なところはあるかもしれません。でも、僕は実際には夜、家に終電で帰ってから、むちゃくちゃ練習をしていました。フルーツのカットにしても、最初はできない。だから数をこなしながら、なぜできないんだろう? とよく考えて、そこを克服することで確実に上達に持っていく。そして次にやるチャンスがあった時に、きちっとできるようにするんです。
なので僕は自分は器用というより、努力するタイプだと思っています。シェフから「器用だ」と言われ続けたことに対しては、「違うんだけどな」という思いはありました(笑)。
目標がなくて、修業に耐えられると思わないで
――厳しい職場で心折れずに働き続けられたのは、どのようなことがポイントだったと思いますか。
杉野シェフは世界的に尊敬されているレジェンドで、ずっと現場に立たれているので技術もものすごい。自分も技術者として一流になりたいと思っていたので、杉野シェフほどの方のもとで何かを学ぶのであればキツいのは当然、という考え方だったのです。
もちろん僕も人間ですからムカつくことがありました(笑)。でもシェフのすごさを前にすると、辛いことも「そんなもんか」となる。15年前ですから、「修業=厳しい」が当然の考え方でもありましたし。
それと、やはり「いつか自分のパティスリーを開く」という目標があったので頑張ることができました。逆に、目標がない人は修業に耐えられないのではないでしょうか?
学校を卒業する時は「なんとなく」の人もいるでしょうけど、途中で夢や目標が生まれることもあると思います。可能であれば、できるだけ早く目標を見つけてほしいです。そうすれば修業が辛くても格段に耐えやすくなります。
取材・文/柴田 泉 写真/小沼祐介
パティスリー イーズ
東京都中央区日本橋兜町9-1
TEL 03-6231-1681