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幽玄 主人
三船桂佑(みふねけいすけ)氏
1985年 福岡県出身。高校卒業後、福岡の中村調理製菓学校で2年間料理を学んだのち、大阪の料亭「味吉兆」に入社。心斎橋大丸にある支店「味吉兆」に5年間、その後、本町のセントレジスホテルに開店した「味吉兆ぶんぶ庵」に移り、8年間勤務する。13年間の修業時代のうち最後の5年間は料理長を務める。2019年6月、上本町で「幽玄」を独立開業。オープン1年目で早くも「ミシュランガイド大阪」で一つ星を獲得し、2021年にも選ばれている。
開業後のピンチへの対応も、修業時代の経験があってこそ
今後は海外の人々にも日本料理の魅力を発信したい
大阪・上本町エリアの駅近くのビルにオープンし、味にうるさい人々からも高い評価を得ている「幽玄」。名店「味吉兆」で料理長も務めた気鋭の料理人、三船桂佑さんが腕を振るい、大阪や地元福岡を中心とした旬の食材を生かした懐石料理で楽しませます。「味吉兆」で料理長に就任してから、どのように独立に至ったのか、店を持ってからの苦労や、料理人や経営者としての思い、今後の展望などを伺います。
いい職場だったんですね。そういういい先輩がいらっしゃるから、ご自分も独立したいと思われるようになったのでしょうか。
料理長5年目を区切りに、独立することを決意
そうですね。23、4歳くらいのときから独立することを考えるようになって、独立したらどういうふうにしたいかということを先輩と話していたんですよ。先輩が、「俺、こういう店にしたい」というのを聞いて、「それ、いいですね」とか言って。僕やったらカウンターの店をしてみたいですとか、ちょっと安いリーズナブルなお店でもいいです、とか最初はそういう話をしていました。
そこから独立までの間にどんどん考えも変わっていって。本当は僕、30歳ぐらいまでは、福岡で独立したいとずっと思っていたんです。でも、いざ自分が独立することを考えたときに、大阪で10年ほど働いてきて、大阪という土地柄も仕入れの業者さんもある程度わかっているけれど、福岡のことは10年離れているからわからない。もし福岡に帰ったら、仕入れのルートも物件も一から探さないといけないし、地元のお客様に来てもらうためにどこかで何年か働かないといけないと。そういういろいろなことを考えていると、今まで大阪でやってきたことがすごく無駄になるような気がして。それだったら、大阪のほうがいいんじゃないかと思いました。
よし独立しようとなったのは、料理長になって5年目になる前。このままいくと、ずっと店にいてしまいそうな気がして、何かしらのタイミングが必要だと思ったんです。それで料理長を5年間務めたら「味吉兆」を卒業しようと決め、ご主人に話して了承を得ました。
辞めてから他のお店で何年か修業するという選択肢もあったのですが、せっかく「味吉兆」でずっとお世話になって料理長までやらせてもらっているのだから、もうそれ以上ってないし、独立してからでも自分で勉強はできる。そう思って独立の方向に舵を切りました。
働きながら進めていった開店準備
お店を辞めるまでに1年あるということで、物件探しなど、開店の準備をスタートさせました。2018年4月に辞めることを決めたのですが、結構話が早く進み、11月には物件を見せてもらいました。もともと(「幽玄」が入っている)銭屋ビルの社長さんと「味吉兆」のご主人が知り合いで、この物件もその関係で紹介していただいたんです。社長さんは僕が辞めることをご存じで、ご主人と「あの子、どうするの?」みたいな話をしていたそうで、独立するので物件を探していると聞いて「じゃあ、うちのここが空いているから一回見てみるか」と言ってくださって。それで物件を見せていただくことになったんです。そこは、もともと別の用途で使う予定だったところで、工事の関係ですぐに返事をしなくてはいけなかったのですが、やりたかったので思い切って決めました。
それから半年くらいは、働きながら休みの日に打ち合わせに行ったり、内装に使う素材を見に行ったり、設計士さんと話をしたりしていました。店にいるときから工事が始まって、お店を辞めて2カ月後の2019年6月にはオープンというかたちになったので、すごくスムーズに進んだと思います。
開業資金は、給料からこつこつ貯めていたものと、残りのほとんどは国金などから借りました。建物と運転資金、器などの消耗品を合わせて3500万くらいかかっていると思います。懐石料理がやりたくて、数寄屋造のお茶室のような感じのところを絶対に作りたかったので、設計士さんにはそれをお願いしました。また、店内は半地下なので、圧迫感を与えないように、お客様との目線を合わせるために床を下げたり、カウンターを広くとったりと、いろいろ工夫しています。
お店を始めてから苦労されたことは?
オープン間もなくの苦境を仕出しで乗り切って
うちで言ったら、オープンして半年後がコロナ禍と重なったことですね。
開業から半年間は結構暇だったんです。前のお店のお客様に来てもらうといっても、自分たちは裏方でしたし、自分の知っている範囲でいろいろ案内もしましたが、そんなに多くなかったので。それから12月1月の繁忙期になってようやく忙しくなってきたと思ったら、2月に入ると急に下がっていって、3月4月と悪くなっていきました。それでどうしようかなと思って、テイクアウトのお弁当などの仕出しを始めたんです。
「味吉兆」では心斎橋大丸の地下でお惣菜やお弁当を出していて、僕も朝からお弁当を作ったりしていたんですね。その経験があったので、「ちょっとこれはまずいから、仕出しでお弁当をやろうかな」となっても、すぐにできました。それは本当に「味吉兆」のおかげだと思います。これはご主人が言っていたことですが、「味吉兆」では、お弁当は2500円から4万円ぐらいまでいろいろな価格帯のお料理を手掛けているのですが、こういうお店ってなかなかないんです。それを勉強した自分たちは5000円のお弁当でも2500円のお弁当でも作ろうと思えばできる。やっぱり「味吉兆」の力ってすごいなと改めて感じました。テイクアウトは1年ほどでやめましたが、そこから新しいお客様もできましたし。
これからどういうことをやりたいとお考えですか?
海外の人たちに日本料理をアピールしたい
近いところで言うと、2025年に大阪万博があるので、海外の方に日本料理をしっかりアピールできたらなと。それに向けて英語のメニューを作るとか英語を話せるとか、歳時記に則った日本料理をわかりやすく表現するとか、海外の方にも喜んでいただけるようなことはやりたいと思っています。大阪の料理人同士でも、万博に向けてどういうふうにやっていこうかということをディスカッションしたりしています。
やっぱり日本って文化的にも衛生面も含めて世界でもトップだと思うし、それをもっとアピールしていって、日本料理店や日本人経営のお店は安全・安心だと思われることはすごくいいことだと思うんです。そういう食を通して日本の活性化になればと思っています。
料理人にとって大切なことは?また独立のためにしておくことは?
目標があるからこそ進むべきものが見えてくる
大切なことは、目標をつくることですかね。目標がないと、絶対にこの世界はやっていけないので。例えば、ホテルのように料理人が何人もいる会社で働いても、個人店で自分のお店を出したいと思って働いても、どちらでもいいと思うんですが、目標がないとそこで何をしないといけないかが見えてこない。うちのアルバイトの子たちに言っているんですけど、休みも欲しい、給料も欲しい、時間も短く働きたい、でも料理も技術も学びたい、独立したい、というのは無理だって。絶対に自分を犠牲にしないといけないものはあるわけで、自分の将来にとって必要なことは何なのかということを考えないと、今は難しいよと。やっぱり自分がどうなりたいかということは、一番大事なことかなと思います。
それから、独立のためにやっておくべきことというのは特にありませんが、自分が行きたいところを見つけて働くことが一番だと思います。結局そこで技術も学べるし、自分がやりたい料理が学べるし、お店づくりも学べる。自分自身でどうにかしようと思っても多分無理で、やっぱりそこで教えてくれる先輩がいたり、教えてくれるお店があったりして、導いてくれる誰かがいるわけです。僕は人が一番大事だと思うので、この人と一緒に働きたいとか、この人と一緒に勉強していきたいと思える人を見つけることが、一番の道じゃないかなと。そこからですよ、技術とかは。
料理人を目指す学生さんにメッセージをお願いします。
日本料理も含め、料理界のこれからを絶対に背負っていく人たちになっていくので、アグレッシブに、何か目標を持っていろんなことに挑戦してほしいですね。何事も挑戦だと思います。今は海外にも行けるので、海外へ出て日本の料理をもっと有名にしてもらっていい。日本の料理自体、絶対に通用すると思いますので。
幽玄
大阪市天王寺区石ヶ辻町14-14 銭屋本舗西館101