西天満中村 店主 中村明美さん
1974年、福岡県生まれ。高校卒業後に辻調理師専門学校に入学。辻調卒業後は、大阪上本町の「京懐石 和光菴」で4年、宗右衛門町のカウンター割烹「懐石本多」で3年、北新地の「割烹まつもと」7年と、それぞれに店の形態や料理も違う店で修業を重ねる。
2016年に独立して自店を西天満に開業。翌年の2017年にミシュラン一つ星を獲得した。女性の繊細さを生かした美しい料理にはファンも多い。
1974年、福岡県生まれ。高校卒業後に辻調理師専門学校に入学。辻調卒業後は、大阪上本町の「京懐石 和光菴」で4年、宗右衛門町のカウンター割烹「懐石本多」で3年、北新地の「割烹まつもと」7年と、それぞれに店の形態や料理も違う店で修業を重ねる。
2016年に独立して自店を西天満に開業。翌年の2017年にミシュラン一つ星を獲得した。女性の繊細さを生かした美しい料理にはファンも多い。
女性だからという甘えは通じない世界
頑張った人だけが行きつく高みを目指して
料理人を目指して、単身福岡から大阪へ。
女性の料理人が珍しい時代に板場に飛び込み、厨房を仕切るまでの実力を備えた方です。
20年という長い修業のうちには料理長として腕を揮った経験も。
2016年に独立を果たすと、翌年には、ミシュラン一つ星を獲得して話題を呼ぶことに。今回ご紹介する前半では、料理人を目指したきっかけや修業時代の頑張りをお聞きしました。
女性も手に職をつけろと言われた時代
小学校の頃はお菓子を焼いたり、中学生になるとホワイトソースを1から作ってグラタンにしたりとお料理は大好きでした。お母さんのお手伝いもよくしていましたね。でも、その頃は、まさか自分が料理人になるなんて思ってもいませんでした。
料理人になろうと決めたのは、高校の卒業を迎える少し前。当初、卒業後はメイクアーティストか料理人になろうと思っていたんです。女性もずっと働く時代だし、「手に職をつけたい」と思ったからです。親や兄弟とも相談して、最終的に決めた進路は、辻調理師専門学校に入学することでした。
ひとつには、小さな頃からお料理をつくるのが好きだったこと。もうひとつは「料理天国」という番組に出ていらした辻調の先生方に憧れたというか、先生方のように、「人を喜ばせることができる美味しい料理を作れるようになりたい」と思ったから。そして、一番の後押しは、幼い頃から私を見ていてくれた姉が、「料理はほんとうに好きだと思うし、人並みぐらいの料理人にはなれるかもよ」と言ってくれた言葉です。
女性を受けいれる度量のある社長との出会い
辻調では、和食に限らず、フレンチやイタリアンも学びました。だから将来は和食の料理人にと決めた時も、強い意志があったわけではありません。調理技術を学ぶうち、和食で習う包丁の技術、たとえば刺身ひとつとっても、平造りや薄造り、へぎ造りと多彩です。飾り包丁のような華やかな技もあって、それを面白いと思ったからなんです。
ただ心配だったのは、女性の料理人を受け入れてくださるお店があるかどうか。私が料理人を目指したのは、今から27年前。当時、和食の店は、まだまだ男性中心でした。サービススタッフとしては就職できても料理人として就職しづらい。それでは、当初の目標だった「手に職をつける」ことは実現できません。
そんななか、和食店への就職がかなったのは、辻調で講師をしておられた「京懐石 和光菴」の社長・平井和光さんに出遭えたからです。辻調からは、男性6人、女性3人の計9人が、「京懐石 和光菴」に入社しました。平井社長は、同期で入った9人を男女分け隔てなく修業させてくださる、大きな度量のある方でした。
ライバルは同期8人、誰よりも早く上に行きたい
最初の1年は、いわゆる「追いまわし」、つまり掃除や洗い物、使い走りなど雑用です。でも最初は、それもできないくらい。何をすればいいかもわからない状況で、まったく役に立たなかった。先輩に教えていただき、他の人の仕事を見習いながら、徐々に自分のやるべきことを覚えていきました。サービスのお手伝いもさせていただきましたが、それも、今になると大切なことだったと思います。お客様にどのように接するか、どんなタイミングでお勘定をするかなど多くのことを学びました。
ただ、そうはいっても早く調理をしたい。少しでも早く「水あらい(生鮮食材の下処理)」の仕事をしたいと思っていました。そんなとき、同期で入った女性が、誰よりも早く出勤していることを知ったんです。彼女はとても頑張り屋さんで、どんなことも自分から進んでやっていました。
負けてはいられないと、私も翌日から6時に出勤して、できることを何でもしました。先輩たちが少しでも仕事をしやすいようにと、指図される前に準備をするなど努力しました。「何故、もっと早くこれをしなかったのか」と少し悔やんだぐらい。彼女に後れをとったという想いもあったんでしょうね。
そんな私たちを、平井社長はきちんと見ていてくださいました。おかげで、わたしたちは、男性の同期より一歩早く、丸1年を迎える前に、魚を洗ったり、捌いたりという水あらいの仕事を任せてもらえるようになりました。
春の八寸。「京懐石和光菴」で身に付けた季節感ある美しい盛付けは、今も自分の基礎になっていると中村さんは言う。
ステップアップのためには、多彩な店で学ぶこと
「京懐石和光菴」では、4年勤め、最終的には炊き場の仕事を任せていただけるまでになりました。店の味付けなどを決める煮方の下に居て、食材を調えたり、飾り包丁を施したりという役割です。もちろん、最終目標は煮方になることでしたが、先輩も多く、当時の実力でその方たちを差し置いて、自分が煮方になることはできないと思っていました。
煮方になるなら、もう数年、あるいは10年以上いなければいけないかもと思ったんです。
そこで思い切って、平井社長に「辞めさせてください」と相談し、人数の少ない個人店で働きたいことを伝えました。割烹ならば、より多くの食材を扱うことができ、その処理や調理技術を学べると思ったから。平井社長は、反対されることもなく「そんな想いがあるなら」と、「懐石本多」を紹介してくださいました。ほんとうに寛容で面倒見の良い方です。実は、独立後の今も、平井社長にはお世話になっています。大阪の父といってもいいかもしれません。
コース料理や一品料理に加え、カウンターでの接客も
入店させていただいた「懐石本多」では、おこぜやきんき、伊勢海老といった高級魚の調理技術を身に付けることができました。大将の本多さんは、感性あふれる盛付けをされる方で、その極意の一端を間近で見ることができました。とても貴重な経験でした。
その後に勤めた「割烹まつもと」は、本多の大将の紹介なんです。そういう意味では、私は師匠に恵まれています。カウンターで一品料理もだす「割烹まつもと」が、料理人を探しているらしいと聞きつけ、煮方として薦めてくださったんです。
旬の食材をお客様のリクエストに応えて臨機応変に調理する割烹の仕事です。最初は戸惑いもありましたが、慣れてくると、お客様の声を直に聞けるカウンターの仕事は、喜びも大きいことを知りました。魚だけでなく、和牛などの扱いを教えてくださったのも、まつもとの大将です。
修業先を変えるごとにステップアップもでき、さらには新たな発見もあり。一か所で長く修業をすることも大切ですが、違った形態のお店でさまざまな料理を学ぶことも大きい。今の店を開業するにあたってのしっかりした土台になっています。
3年は我慢!いつも自分に言い聞かせてきました
修業時代、店を辞めたいと思ったことは何度かあります。ただ、どんな時も、料理人を辞めようとは思わなかった。続ければ続けるほど、それまでに身に付けたことをなんとか生かし、いつかは自分の店をと思う気持ちがわきました。
私が修業をした頃は、「どんな職場でも3年は我慢しなければ何も身に付かない」と言われた時代でした。落ち込み「もう辞めたい」と平井社長に相談したこともありました。社長は、「もう少し頑張れ!」と厳しくも優しい言葉をかけてくださった。
4年経って、私が辞める頃には、同期の8人は全員「京懐石和光菴」を辞めていました。それほどに、同じ店に居続けるのは難しいことなんですね。
ただ、今思うのは、料理を続けてよかったということ。常に少し上を向いて、前を向いて進めば、かならず目標に辿り着けるということです。
後半へ続く
西天満中村
住大阪市北区西天満4-5-25
☎06-7506-8218