vol.4 サローネ2007 弓削啓太(後編)
何十万人もの人に
おいしい感動を提供するYouTubeは、
料理人の夢を広げてくれる
横浜にある「サローネ2007」は、イタリア料理レストランを東京、横浜、大阪で合計6店展開する「サローネグループ」の本店。弓削啓太さん(36歳)はそのシェフを務めながら、登録者数約15万人のYouTubeチャンネル「yugetube(ユゲチューブ。リンクはこちら)」でパスタのレシピを配信しています。また今年の2月にはレシピ本『「パスタ世界一」がかなえる至福の家イタリアン』(リンクはこちら)を出版するなど、YouTubeをきっかけに活動の幅を広げはじめている注目のシェフです。
今回は、2回にわたって弓削さんのお話を聞く後編。前編では修業時代から今に至るまでの弓削さんの道のりや、yugetubeのはじまりについて聞きました。(前編はこちら)
後編ではyugetubeの内側、料理人として活動の幅を広げること、その中で大切にしていることなどについて聞きます。
プロフィール 弓削啓太 ゆげけいた
1985年佐賀県生まれ。高校時代は野球部に没頭。卒業後、カナダで料理を学んで帰国。フランス料理店「シェ・イノ」(東京)で4年間修業後、フランス・パリ「ギィ・サヴォワ」で1年間働く。帰国後2011年にサローネグループに入り、グループ内の店のスーシェフやシェフを経て2018年に現職に。2019年に「パスタ・ワールド・チャンピオンシップ 2019」に日本代表として参加、世界チャンピオンを獲得する。2020年4月よりYouTubeチャンネル「yugetube(ユゲチューブ)」を配信。
レシピに対する責任感はすごくある
――yugetubeは、どのようにして作っているのですか?
基本的にはランチとディナーの営業の合間に撮影しています。作るパスタが決まったら、スタッフの力も借りて準備や下ごしらえしておき、実際の撮影は担当のサービススタッフ1人にiPhoneと小型固定カメラで撮ってもらっています。みんな慣れたもんです(笑)。
最初はプロセスと完成品だけを映していたんですが、視聴者の方から「シェフがパスタを食べて、大きく笑顔を作ったところも入れた方がいいです!」とアドバイスをいただいて。実際にそうすると、圧倒的に楽しい動画になりましたね。
今は撮影までは店でやり、編集は外部にお願いしています。初めの頃は全部自分たちで作っていましたが、負担が大きいので外注に。「ここは外さないで」というポイントだけ伝え、あとはまかせています。
――内容を決める際に大切にしていることは?
やはり大事なのは味。なので王道パスタもアレンジパスタも、レシピに対しての責任感はすごく持っています。このチャンネルは「プロが真剣に取り組む」という点に価値があると思っていますから。
配信するレシピは、店の料理を考案する時と同じ。まずはスタッフに試食してもらい、意見を聞いて修正する、という手順を踏んで完成させています。
そのため、正直1品を作り上げるには時間はかかります。だから無理のないよう、動画のアップは今はだいたい月2回ですね。「この人が上げているレシピは絶対においしいんだ」と思ってくださっている、その信頼に応えることを大事にしています。
――今、yugetubeのチャンネル登録者数は14.9万人。最も多く再生されたのは90万回の「海老とトマトのスパゲッティ(リンクはこちら)」。チャンネル開始の2020年4月以来、登録者数や再生回数が伸びたきっかけとなった出来事は何でしょう。
6月に配信した「本気のカルボナーラ!!(リンクはこちら)」が受けたんです。
(現在68.8万回再生、コメント800件以上)
画像 yugetubeより
スタッフが4月からいろいろと調べてくれて、「やっぱり『ミートソース』とか『トマトソース』とか、Googleでみんなが検索するような有名なソースの配信だと伸びますね」というので、カルボナーラもいいかな、と。
ただ、それまでは家庭でも作りやすいよう、できるだけレシピは簡単にしていたのですが、カルボナーラでは初めて「プロの本気」を出しました。少しハードルが高くても、ワンランク上のものを作ってもらうのも面白いのでは、と思ったのです。
これが受けたんですね。後からふり返って分析すれば、男性を中心に、日常というよりちょっと特別な、本格的な料理に取り組みたいという需要があった。そこにハマったんだと思います。実際今、うちのチャンネル登録者は8割が男性です。
僕はチャンネルの管理者なので閲覧数のグラフを見られるのですが、カルボナーラの時は驚異的な跳ね上がりぶりでした。スタッフたちともグループラインで「なんだこれは?! やばい!」って盛り上がりましたよ。
――ものすごい手ごたえですね。
そうですね、数もそうですが、コメントが嬉しかったです。家庭のお父さんから「家族に作ったら、子供に喜ばれました!」「妻がおいしいと言ってくれました!」という書き込みがあって。
カルボナーラ以降もこうしたコメントをいただいていて、そのたび心に響いています。自分自身も2人の子供の父親で、僕がパスタを作ると家族が喜ぶのがとても嬉しいんですよね。そんな、幸せな時間をみなさんも味わってくださっている。「パスタはパパが作る」という流れが生まれるといいな、なんて思っています。
今までとは桁違いの数の人に届く
――YouTubeで支持を得るようになって、料理人として感覚が変わったことはありますか?
料理人でいる限り、店に来てくださるお客さまに全力で向き合うという感覚が変わることはないと思います。ただ、一つ、長年の悩みが解決されたということはあります。それは、「料理は他の創作物に比べて、少数の人にしか感動を提供できない」という悩みです。
たとえば音楽も料理も下積みの時代があり、技術と感性を磨き、ある程度力をつけたら試行錯誤しながら創作し、それを世に出すという点では同じだと思うんです。
でも音楽はヒットすれば何十万人、何百万人という人に聞いてもらえて、聞いた人の人生を変えるくらいの感動を与えられる。その点料理は、たとえば30席のレストランだと、どんなに素晴らしいものを作っても1日に感動してもらえる人数はランチとディナーで60人が限度です。
これが長年心に引っかかっていて、もっと多くの人に料理を楽しんでもらえたら料理人という職業への夢がかなり広がる、と思っていました。やはり、料理で人を喜ばせたいと思うのは料理人をめざす人の原点のはず。僕はおいしさの喜びを、多くの人に届けたいのです。
その願いがYouTubeで叶えられたかな、と思っています。たくさんの人を幸せにできたらという思いを、YouTubeに手伝ってもらっている感覚です。
――YouTubeで活躍するようになってからテレビに出る機会が増え、2月にはレシピ本(リンクはこちら)も出しました。
そうですね、ありがたいことです。まだまだ勉強させていただいています。
ただ、こうなったのが36歳という今の年齢でよかったと思います。仮に25歳で今みたいになっていたら、完全に浮き足立ち、そして押しつぶされていたでしょうから。
ある意味、料理人の世界はお笑いの世界と似ている、という話を聞いたことがあります。つまり、おもしろい芸人さんはたくさんいるけれど、売れる人は一握り。料理人も、おいしい料理を作る人はたくさんいるけれど、有名になる人は一握り。しかも実力や経験がなくても、何かの拍子で売れる時は売れるし、話題になる時はなる。理不尽なところがあるんです。
ただし名前が売れたところで、結局引き出しがないと足元をすくわれたり、飽きられる。最終的に残っている人はちゃんと下積みをして、基礎があって、芯がある人です。
YouTubeで信頼を得られているのも、自分に下積みがあったからだと思います。ちゃんと経験を積むから楽しいことが待っているんだな、と、最近ようやく実感できるようになりました。
うまくならないと、おもしろくない
――料理人であることを長く楽しむにはどうしたらいいか、学生に向けてアドバイスをいただけますか。
僕は野球をやっていたので、桑田真澄さんやイチローさん、落合博満さんの話をYouTubeでよく見るのですが、桑田さんの話で本当に深く納得した一言があるんです。
それは、「うまくならないと、おもしろくないよ」という一言。プロ野球選手も、上手でないとやっていて何一つおもしろくないとのこと。「だから上手になるまで練習しなさい」って。
料理も、本当にそう思います。仕事は、基本的に大変なものです。でもうまくなったら楽しいんですよね。だってお客さまに喜んでいただけるし、時によっては料理で圧倒的な感動を提供できるし。そこまでやって、ようやく喜びが出てくると思います。
だから今学生の人も、卒業後に相応の練習、相応のつらさを味わわないと楽しくならないよ、と伝えたいです。これは前もってわかっていた方がいいですね。
なので、なんでも早ければいいわけではない。最初は辛くても基礎と芯がしっかりとある料理人に、ぜひなってほしいと思います。
取材・文/柴田 泉 写真/小沼祐介
サローネ2007
神奈川県横浜市中区山下町36-1
バーニーズ ニューヨーク横浜店B1
TEL 045-651-0113
http://www.salone2007.com