「職人の世界は、下積みが長い」。そんなイメージを持っている人は多いのではないでしょうか。最初の何年かは仕込みや洗い物ばかりで、本格的な調理を任せてもらえるようになるまでには、ずいぶん時間がかかる。そんな話を聞いたことがあるかもしれません。
成田山新勝寺の門前で、300年続く日本料理店「菊屋」。長く受け継がれてきたこの店では、今、若い職人を迎えるために教え方そのものを見直しています。鰻や日本料理を手がける職人を、どう育てているのか。教える側は何を考え、教わる側は何を感じているのか。菊屋の代表を務める石橋幸太郎さんと、女将の石橋真衣子さんに、お話を伺いました。
【菊屋】 鰻を看板料理に、季節の日本料理とあわせて提供する日本料理店。屋号は成田山新勝寺から拝領した菊の御紋に由来します。菊屋では、鰻と日本料理のどちらも手がけられる職人を育てています。
■300年の歴史を持つ老舗が、今、若い職人を育てたい理由
実は、今、鰻の調理師会という集まりでは、60代が若手と呼ばれています。技術を持つ世代がそのまま現役で、あとに続く人がまだ少ないのです。調理師学校でもパティシエや製パンを目指す方が7割ほどで、和食を志す方は年々少なくなっていると聞きます。
和食には、豊かな四季を持つこの国の魅力が詰まっています。日本で料理を学ぶなら、最も身近で、最も正しく学べる分野ではないでしょうか。食材の生産者のもとまで辿っていけるのも、この国で日本料理に取り組むからこそです。それほど豊かな世界の担い手が、今、少なくなっています。
菊屋は成田山新勝寺の門前で商いを始めてから300年、和食の文化を紡いできました。店に残る最も古い献立は、大正時代の花見の宴のもの。当時どんな料理をお出ししていたのかが、今も紙の上から分かります。
だからこそ私たちは「食と文化をつむぎ、人をつなぐ。」という理念を掲げています。この先も、和食とその文化を紡いでいきたい。そのために、今、若い職人を育てています。
和食は難しいと構えられがちですが、決して狭き門ではありません。日本料理の道を、進路の一つとして考えていただけたらと思っています。
■菊屋の教え方は、仕込みではなく盛り付けから
私たちが教わった時代は、ゼロから積み上げていく形でした。野菜の仕込みから始まり、納品されたものをどう冷蔵庫にしまうのか。少しずつ最終工程へ近づいていくのが当たり前でした。
今は、その順番を逆にしています。まず出来上がりがあり、最終の盛り付け、それから最終調理、仕込み、最後に生きた魚に触れる。完成した一皿から、工程を遡っていく教え方です。
最初に完成形を知ると、考える余地が生まれます。たとえば天ぷらなら、盛り付けから覚えます。どう手を動かせばこの形になるのか。その前の工程で、何ができていればいいのか。答えを渡されるのではなく、自分で辿ることになります。
もうひとつ大きいのは、最終工程を任されると、自分の手を離れた料理がそのままお客様の前に出ることです。綺麗な盛り付けができていなければ、お客様は気持ちよくお帰りになれません。入って間もない時期から、その手応えのなかで仕事ができます。
遡っていく先には、材料の仕入れがあります。どの業者さんから届くのか、在庫はどのくらい必要で、何時までに発注を出すのか。そこまで考えるので、入ったばかりの人が店で一番在庫に詳しい、ということも起こります。いつもの納品の方が来る時間が違えば、すぐ気がつく。今日は交通規制がかかる曜日だから、お客様の到着時間も変わってくる。そうやって、見えるものが広がっていきます。
同じ料理でも、教わる順番が変わると、身につくものが変わります。あなたが教わる立場なら、どちらの順番のほうが分かりやすいでしょうか。
■お客様が10組いれば、10通りの正解がある
教え方を見直したのは、調理場だけではありません。サービスの現場でも、何を正解として教えるのか、というところから考え直しています。
教わる側から本当に多いのが、「この間あの人はああ言っていたのに、今日は別の人から違うやり方を教わりました。どうしたらいいですか」という質問です。どんな職業でもあることだと思います。
でも、10組のお客様がいらっしゃれば、ご注文もご希望も状況も10通りです。だとしたら、そのときの教え方も10通り。どれが正解かと聞かれたら、全部正解なんです。
質問を受けたときは、まずどうしてそうなったのかを聞きます。そのうえで、「このお客様にはこうしてさしあげるといい、とその先輩が思ったからそうしたんだよ。あなたが今までやってきたことも正解、今教わったことも正解。それを次の機会にどう繋げるか」と伝えます。
あとは、同じような場面が巡ってきたら、「ほら、この間のあれだよ」と声をかける。そこでようやく繋がります。
カリキュラムはあります。でも、その先の運用の仕方にこそ、菊屋のおもてなしが表れるのです。
■技術は、次に渡せてはじめて受け継がれる
菊屋には、課長職や部長職といった役職がありません。一番下だからこの仕事をやってはいけない、という決まりもなく、できるようになったことから順に任せていきます。
では、その「できるようになった」を、どこで判断しているのか。基準は、後輩に正しく指導ができるかどうかです。ただ自分でできることと、人に渡せることは違います。技術は、次に渡せてはじめて受け継がれていきます。
たとえばゴミの始末や、網の掃除など、簡単なことでも「何曜日にこのゴミが出るんだよ。回収は何時に来るから、それに向けてまとめるんだよ」と、理由付けまで説明ができるか。やり方だけを渡すと、状況が変わったときに通用しません。理由ごと渡せば、受け取った人が自分で考えられます。
そのためにも、日誌をつけなさい、ということも伝えています。今日は何ができて、何ができなかったか。読み返すと、前と同じ間違いをしている、と自分の傾向が見えてきます。この記録が、後輩を指導するときに効いてきます。「この後輩は、自分と同じところで躓いているな」と分かる。繰り返すうちに、みんながどこで躓くかも見えてきて、「ここは大丈夫?」と先回りして聞けるようになります。自分が躓いた記録が、次の人を助けるのです。
任せた仕事が思うようにいかないこともあります。そのときは原因を突き止め、自分で省みて、繰り返さない方法を考えてもらいます。答えを渡すほうが早いのですが、それでは次に渡せる人になりません。
■教わる側が動くから、技術は渡っていく
ここまでお話ししてきたのは、教える側の考え方です。では、受け取る側はどう感じているのか。技術の受け渡しは、教える側だけでは成り立ちません。上町菊屋で働く二人に、話を聞いてみました。
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<ホールリーダー・前田優希さん(5年目)>
入社前は、料理を提供して終わりの仕事だと想像していました。実際は、お客様が来店されてからお帰りになるまで、どうしたら喜んでいただけるかを考えて、全体の流れを見ながら動くのがとても大事なのだと実感しました。
お席にご案内する時も、落ち着いた席がいいか、空調が当たらない席がいいか、お客様の様子を見ながら考えます。足が悪い方や重い荷物をお持ちの方には手前の席に。「気が利きますね」「助かります」と言っていただけると、とっても嬉しいです。
リーダーになってからは、見るところが多くて大変です。だから日々の成功や失敗を記録して、判断の引き出しを増やすようにしています。このパターンが来たらこう対応する、というものがないと、「また新しいパターンだ、どうしようかな」と悩んでしまうので、失敗ファイルというものを自分で作っているんです。
菊屋の魅力は、私たちスタッフの声がお店に反映されやすいところだと思います。ここの構造が使いづらいから変えてほしい、この料理をメニューに加えてもいいのではないか。そういう意見をすると、次はそれを挑戦させてくれるんです。
<調理師・笹川大樹さん(2年目)>
和食の調理を経験してから、菊屋に移ってきました。今は鰻の割きを練習しているところです。
ここで最初に教わる盛り付けは、お店によって違うと思うんです。だから料理を作ったあと、まず自分でサンプルを作ってみて、料理長に見せに行くようにしています。技術が足りていないなと思うところは、料理長のそばに行って、どうやってやりますかと聞きます。しつこいと思われるかもしれないくらい、ずっと隣で見たり聞いたりしています。
聞けば教えてくれるんです。「やってみる?」と声をかけてもらえる。やったことのない仕事は思うようにいかないこともありましたが、できるようになるまでしっかり教えてくれたことが、今の自分の自信になっています。
大事だなと思ったところはメモをします。ポケットに入れっぱなしでボロボロなんですけど、家に帰ってから、別のノートに清書するようにしていて、それが結構役に立っています。
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教わる側が動き、教える側が応え、お店がそれを形にする。この三つが揃ってはじめて、技術を受け渡す環境ができあがります。
■技術を受け継ぐことは、自分の幅を広げること
ここで身につくのは、料理やサービスの技術だけではありません。たとえば雑巾にも、正しい絞り方と畳み方があります。道具の扱いが身につくと、身なりや立ち居振る舞いまで整ってきます。旅先の宿に泊まるときも、誰かのお宅にお邪魔するときも、きちんとして訪れることができる。仕事のために覚えたことが、そのまま人生の幅を広げてくれます。
私たちは、この仕事は一生勉強だと考えています。大人になっても、歳を重ねても、学ぶことはなくなりません。菊屋で働く機会があれば、ご自身の人生に彩りをつけるような学び方をしてほしい。だからこそ、学びたいという意欲がある方に来ていただきたいと思っています。
技術は、教える人だけでも、学ぶ人だけでも受け継ぐことはできません。その受け渡しの輪に、あなたも加わってみませんか。
