この連載では、新しい視点で自分らしい働き方を追求する若手シェフにインタビュー。今までの道のりについてや、現在の仕事のやりがいについて聞きます。
vol.1 unis 薬師神陸(前編)
シェフをしながら、シェアキッチンを運営。
同世代の仲間と力をかけ合わせ、活動の場を広げる
フランス料理のレストラン「unis(ユニ)」のシェフであると同時に、レストランに隣接するシェアキッチンの運営責任者も務める薬師神 陸さん(33歳)。若手料理人と企業をつないださまざまなコラボレーションにも取り組むなど、幅広い分野で活躍しながら、新しい働き方を実践しています。
そんな薬師神さんに、2回にわたり今の仕事について語っていただきます。初回の今回は、「なぜこの働き方を選び、どうやって実現させたのか」がテーマ。薬師神さんの幼い頃からの道のりが現在にどうつながったのか、ふり返ってもらいました。
プロフィール 薬師神 陸 やくしじん りく
1988年生まれ、愛媛県出身。幼少の時に祖父から料理を学んだ影響で料理人をめざすように。高校は商業系の高校に進み簿記などを学ぶ。その後辻調理師専門学校に進学し、卒業後は同校に就職。講師として5年間勤務する。退職後、須賀洋介氏率いるレストラン「SUGALABO」の立ち上げから参加し、オープン後はシェフに。合計5年間勤務する。2019年夏、31歳で退職してフリーの料理人として活動。2020年12月、32歳でレストラン「unis」をオープン。2021年1月、シェアキッチン「Social Kitchen TORANOMON」を開設する。
子供の頃から毎日料理を作っていた
――どのようなきっかけで、料理人になろうと思ったのでしょうか。
祖父が宮大工の棟梁で、毎日仕事の後、一緒に働いた皆に料理をふるまっていました。小さい頃からその様子を見てかっこいいと思っていたのと、祖父から料理の手伝いをするように言われたのが、僕と料理の出会いです。
うちは父親が早くに亡くなり、母親が働きに出ている間、僕は祖父のところに預けられていたため、料理上手な祖父と接する時間が長かったんです。魚のさばき方を教えてもらうなど、台所が遊び場となっていました。
ただ祖父も僕が小5の時に亡くなってしまい、夜遅くまで働いている母に代わり僕が弟と母の夕食を作るように。毎朝2000円もらい、学校帰りにスーパーに寄って買い物して、家に帰ったら料理、という生活をしていたので、自分の将来としては料理人以外の仕事は思い浮かばなかったですね。
――商業系の高校に進学して簿記などを学んでいますが、それも料理人として独り立ちすることを見越してのことでしたか?
はい。ただし中学生の時は少しでも早く社会に出て働きたいと思っていたので、卒業と同時に調理師学校に入る計画を立てていたんです。それで調べたら、大阪の辻調理師専門学校には中卒コースがあるらしいとわかりました。
じゃあ、まずはオープンキャンパスで話を聞きたい。そう考え、中学に入ってはじめた新聞配達のバイト代を少しずつ貯め、愛媛から大阪までの往復と一泊の宿泊料金を準備しました。ただし母親には内緒だったので、「友達のところに泊まってくる」と言って出かけたのですが(笑)。中3の夏のことです。
でも、実際にオープンキャンパスで相談に乗ってもらった先生には、「部活で身体を鍛えるなり、会計を学ぶなり、しっかりと高校生活を送って将来に役立つ時間を過ごした方がいい。それから来ても遅くない」と言われたんです。これは自分にとって、大きな転機となりました。高校で商業を専攻したのは、こうした経緯があったからです。
――高校卒業後は念願の辻調に進学します。
高校在学中、自分の卒業年に辻調で2年制のクラスが新設されると知ったので、とにかくそこに行きたくて。きっとモチベーションの高い生徒が集まるだろうな、そこで揉まれたいな、と。実際おもしろい同級生ばかりで、学ぶのが楽しかったです。
在学中に、一番奥が深そうで挑戦しがいがあると思えたフランス料理を専攻に選んだのですが、そのフランス料理をさらに学びたいという思いもあり、講師になろうと決心。採用試験を受けたところ無事通り、自分にとっての卒業後の進路が決まりました。
当たり前な仕事が、のちのち自分の武器になる
――辻調に勤めた5年間で、どのような経験をしましたか。
「教える」というのはとても鍛えられるものだと実感しましたね。生徒の質問に答えられるよう先回りして流れを想定したり、しっかりと対応できるよう徹底的に調べものをしたり、技術を磨いたり……。
また辻調では国内外の名だたるシェフを招いての特別講義がたびたびあるのですが、その時は素材の発注から当日までの準備、講義のアシスタントまでを講師が担当します。この経験を通じて、多くのシェフたちの思考回路を学べたのは大きかったですね。
あと、講師のシェフの方々との業務のやり取り、スケジュールのやり取りといった事務的な仕事はのちに働くSUGALABOでとても役に立つことになりました。
――辻調を退職してからは、その須賀洋介さんのSUGALABOの立ち上げに参加し、オープン後の4年間はシェフとして活躍しました。
須賀さんがスタッフに求める仕事のスピードと質のレベルは非常に高く、厳しいです。それをクリアするのがまずは、前提条件でありました。
加えて、SUGALABOは日本全国のさまざまな生産者の元を毎月訪ね、彼らが産する食材の魅力を発信することを使命とするレストランです。この食材めぐりの出張で自治体とのやり取りをするのは私の役割でした。
さらに須賀さんは国内外でのイベントを多数開催するとともに、企業やブランドとのコラボレーションも多く行なっていました。その準備も、基本的には私にまかされていました。外部との事務的やりとり、交渉、運営、スケジュール管理といったスキルは辻調時代に身につけていたので、「コイツは使える」と思ったのでしょう(笑)。
――大変な日々が続いたのですね。
そうですね。でも猛烈にハードワークな須賀さんの要求に応えながら働いたことで、決められた時間内に膨大な量の仕事をこなす能力は格段に上がったと思います。視野も非常に広がりました。
写真提供 unis
人生の決断を5年単位で行う
――レストランをやりながらシェアキッチンも運営するという今のスタイルは、どのように思いついたのでしょう。
SUGALABOを退職した時、次のステップは、やはり自分がそれまで経験してきたこと全体を生かすものにしたいと思ったんです。かつ、自分だけで終わらず、多くの人に広がる活動をしたいという考えもありました。
たとえば、イベントの運営や企業とのコラボレーションの経験が自分にはあるので、そうした仕事に必要なスキルを、自分と同世代やそれ以下の料理人たちとシェアしたい。そして、シェアするための「場」も作りたい。シェアキッチンを作るという構想は、ここからきています。
幸い、この構想を共有する仲間はすぐに集まりました。同じミレニアル世代で、「新しい時代の料理人像を作る」という志を持つ料理人やパティシエです。最初に集まったのは5人ほどです。
――実際にシェアキッチンを開設するには資金や設備が必要です。そのあたりはどのように解決しましたか?
やはり、集まった仲間たちだけで充実した設備のシェアキッチンを作るのは難しいので、まずは僕らの構想に賛同してくれる出資者や企業を探すことにしました。
こうした方々にきちんと話を聞いてもらうためには、何よりも構想の内容に説得力が必要となります。それについては、仲間のみんなと徹底的にディスカッションを重ねました。その結果、構想はどんどん精度を増していき、伝えたいポイントもどんどん明確になっていきました。
と、こんな姿勢で活動を続けたところ、縁があって虎ノ門ヒルズの一角で自分たちの構想を実現する場を設けられることに。こうして、シェアキッチンを作るという目標が叶ったのです。
写真提供 unis
――目標が叶った決め手はなんだったと思いますか?
「ミレニアル世代の料理人が集まり、スキルをシェアしながら、新しい食の形を作る」というコンセプトが時代に合い、企業などからの期待や共感を得られたのが大きいと思います。
これからの料理人には、「スキルをシェアする」という考え方が欠かせなくなると考えています。シェアすることで、できる仕事の幅が広がる。社会の中で存在感を発揮できる。そしてそうした流れを、ミレニアル世代である僕たちが作れるよう、仲間とともに力を入れていきたいと思っています。
――今のご自分の働き方は、辻調時代やSUGALABO時代には想像できていましたか?
全然できていませんよ(笑)!
僕は、人生の決断のタイミングを5年タームで見るようにしているんです。それは「5年後にこうなっていたい」という目標を立て、逆算して行動を計画するというものではありません。というのも、2年先の自分を想像するのでさえ難しいのに、5年先なんてなおさらです。むしろ想像できるようなことをしていてはダメだと思っています。
僕が大切にしているのは、5年後に最高の決断ができるよう、日々ベストを尽くすこと。ベストの日を重ねる中で、意外な気づきや縁を得て、思わぬ方向への飛躍につながるかもしれません。未来なんてわからないものです。
なので、はっきりとした目標はあえて立てない。ただし、5年というタームでしっかりと方向転換できる準備をする。そういう感覚でいます。
取材・文/柴田 泉 写真/小沼祐介
写真提供 unis
Unis(ユニ)
東京都港区虎ノ門1-23-3
虎ノ門ヒルズガーデンハウス1F
Social Kitchen TORANOMON
(ソーシャルキッチン 虎ノ門)
※住所はunisと同じ