銀座シェ・トモ
オーナーシェフ 市川知志氏
(プロフィール)
1960年東京生まれ。高校卒業後、洋食屋を経て82年に「勝沼亭」(西麻布)にてサービス、調理を経験。85年単身フランスに渡り、「ミシュラン」一つ星レストラン「レ・フレール・デ・イバルボー」(バスク地方)、三つ星レストラン「ジョルジュ・ブラン」(ブレス地方)、三つ星レストラン「トロワグロ」(ロアンヌ)などで修行、91年帰国。「レザンドール」(銀座)のシェフ、「ル・マエストロポール・ボキューズ・トーキョー」(赤坂)のシェフを経て97年「レストランW」取締役総料理長。2002年「白金シェ・トモ」のオーナーシェフとして独立。05年に「ラ・ピッチョリー・ド・ルル」、09年「銀座シェ・トモ」を開店。
(プロフィール)
1960年東京生まれ。高校卒業後、洋食屋を経て82年に「勝沼亭」(西麻布)にてサービス、調理を経験。85年単身フランスに渡り、「ミシュラン」一つ星レストラン「レ・フレール・デ・イバルボー」(バスク地方)、三つ星レストラン「ジョルジュ・ブラン」(ブレス地方)、三つ星レストラン「トロワグロ」(ロアンヌ)などで修行、91年帰国。「レザンドール」(銀座)のシェフ、「ル・マエストロポール・ボキューズ・トーキョー」(赤坂)のシェフを経て97年「レストランW」取締役総料理長。2002年「白金シェ・トモ」のオーナーシェフとして独立。05年に「ラ・ピッチョリー・ド・ルル」、09年「銀座シェ・トモ」を開店。
――――新型コロナウィルスの影響はありましたか。
苦しい中でも、スタッフの雇用維持を第一に考えていました。
飲食業なのでもちろんありました。3月ごろからお客様が激減し、5月には銀座店が入るビル自体が閉館してしまったため、お店も休業対応を行いました。その中でもスタッフの雇用維持を第一に考え、給付金も活用しながら出勤分の給料は全額保証しました。
土地柄や店舗特性も相まって、ありがたいことに白金店の方はコロナ禍でも順調に売り上げは推移していました。
10月にGotoEatが始まると、銀座店にも我々も驚くほどお客様が来るようになりました。元々日本人のお客様が圧倒的に多い・接待より日常使いのお客様が主なターゲットだったなどの理由から、客足の戻りも早かったのではと分析しています。
10月にGotoEatが始まると、銀座店にも我々も驚くほどお客様が来るようになりました。元々日本人のお客様が圧倒的に多い・接待より日常使いのお客様が主なターゲットだったなどの理由から、客足の戻りも早かったのではと分析しています。
――――コロナで情勢も変わる中、採用活動は続けられる予定ですか。
組織を正しく保つ上で、毎年採用をすることは基本です。
基本的に毎年採用はしています。常に人材を入れて新しい潤滑を作ることが、組織を正常な形に保つ上で必要だと考えています。独立などで辞める人はどうしても出てくるので、10年後に1軒お店を任せられるレベルの人材が育つよう、採用を続けて行きます。
高い技術を習得した若い世代が出てきたときに、パワーバランスを散らすという発想で支店を出せるといいなと考えています。寄せ集めの人間で無理やり出店する方法は成功しません。自信を持って送り出せる人材を、しっかりとサポートできる体制があってこそ成り立つものだと思います。
――――調理職に向いている人とはどのような人材なのでしょうか。
理屈じゃなく、自分は飲食をやるために生まれてきた、と思えるか。
飲食をやるために生まれてきた人が残ると思います。飲食業は人が遊んでいる土日や大型連休に働いてナンボの世界。理屈じゃなく、自分がこれをやるために生まれてきたと思える人が続きますよ。どのような仕事でも大変なことはあると思いますが、好きなことをやっていれば辛く感じませんからね。
採用する側からすれば、現場に入って5分一緒に働けば向いている・向いていないはすぐに分かります。そのため弊社では企業実習を積極的に受け入れています。百の言葉よりも一の行動が大切です。
――――市川さんがフランス料理を志した経緯を教えてください。
諦めなければ、失敗じゃない。
高校時代は和食の板前になりたかったのですが、学生時代に洋食屋でアルバイトを始め、そこで出会ったチーフから全てを教わる中で洋食のイメージが変わって行きました。19歳の時、その方からフランス料理の本をプレゼントでいただいたことがフランス料理との出会いです。こんな宝石箱みたいな料理があるのかと衝撃を受け、いつかこの店で働きたいと思いを強めました。
当時のフランス料理店は紹介じゃないと料理見習いとして入れなかったのですが、何がなんでもやりたかったので“当たって砕けろ”精神で門を叩き、必死に食らいついていきましたね。調理師学校の先生からは止められましたが、周りの話は一切聞かず自分の意思で決めました。その代わり失敗したら自分で責任を取ろうと考えて。人の意見に流されると、失敗したときにその人のせいにしてしまいがちなので、業界に入った頃から自分の意思を信じるスタンスでやってきました。
諦めなければ失敗じゃないと私は考えています。人が反対しそうなことでもチャレンジしていかないと、一握りの突き抜けた存在にはなれませんからね。やり続けてやり抜けば、意外と認めてくれる人が多いのが日本という国だと感じます。
――――調理職の人材育成はどのようにされていますか。
10年後に店を一軒任せられるような人材を育成しています。
新卒は、最初の1年は調理職希望でもサービス業務に入っていただきます。将来独立を見据える場合、サービスの知識があることは必ず役に立ちますから。
2021年新卒から、3年間の育成プランに沿って育成を進める予定です。一般的には卒業した年の4月から社会人としてスタートしますが、調理職の場合はまだスタートラインにも立っていない状態です。3年間の間に調理師としての基礎体力、基礎知識、基礎技術を身につけ、その後は他の店に行くなりシェ・トモで上を目指すなり、自分のキャリアプランに沿って進んでもらえればと考えています。飲食業界は離職率が高いからこそ、これらの基礎要素があり重宝がられる人材であるかがとても大切なのです。
――――従業員向けに毎週開いている勉強会について教えてください。
なぜ掃除をするのか、といった本質的な所から学んでもらいます。
週1回、若い世代に向けて自分が伝えたいことを言葉にして伝える時間をとっています。普段の仕事場では仕事に関する話はしますが、時間があるわけではないので必要最低限の指示しか出すことができません。「なぜその指示を出すのか」の理由の部分まで伝えることができないのです。ただ本来は、業務一つひとつの本質をきちんと理解していないと、小手先の技術だけ伸ばしてもだめなのです。
若い世代には、「どうして?なぜだろう?」と常に考えて仕事ができる人間になってもらいたいと考えています。例えば掃除。なぜ掃除をするのか、答えは自分を磨くため。自分を磨き込んでお客様に接客できるのがプロの料理人、その自分を磨く一環としてお店をきれいにしているんだよ、といった物事の本質を勉強会では伝えています。
――――最後に、就職活動に取り組む若い世代へのメッセージをお願いします。
自分が目指す料理の歴史や語学は学んで欲しい。
漠然とした「飲食業」ではなく、まずは自分がどのジャンルの飲食業に行きたいかを決めること。その上で自分が目指す料理の最低限の歴史・語学を学んでおくことが大切です。歴史を学ぶことで、どの土地の料理を学びたいか、どんな系統の店に行きたいかなど細かい部分がだんだんと見えてきます。ジャンルを明確にしないと今やるべきことも決められませんから、他人の意思は関係なく、自分の心の声に素直に従って決めて行ってくださいね。
漠然とした「飲食業」ではなく、まずは自分がどのジャンルの飲食業に行きたいかを決めること。その上で自分が目指す料理の最低限の歴史・語学を学んでおくことが大切です。歴史を学ぶことで、どの土地の料理を学びたいか、どんな系統の店に行きたいかなど細かい部分がだんだんと見えてきます。ジャンルを明確にしないと今やるべきことも決められませんから、他人の意思は関係なく、自分の心の声に素直に従って決めて行ってくださいね。
