祇園さゝ木
佐々木 浩氏
(プロフィール)
(プロフィール)
祖父、父も料理人。滋賀県の歴史ある割烹旅館「臨湖庵」を皮切りに、さまざまな料理店で修業し、27歳で京都・先斗町の「割烹ふじ田」の料理長に就任。
36歳で独立し、祇園町北側に「祇園さゝ木」を開店。
36歳で独立し、祇園町北側に「祇園さゝ木」を開店。
2006年、八坂通に100坪の一軒家を購入し1年がかりで改装、現在の店舗を開店。
和食のイメージを覆す革新的な料理や調理パフォーマンスはまさに「佐々木劇場」。ミシュラン三ツ星二年連続を獲得した「祇園さゝ木」の佐々木浩氏に、コロナ禍における京都の飲食業界への影響と取り組みについて聞きました。
和食のイメージを覆す革新的な料理や調理パフォーマンスはまさに「佐々木劇場」。ミシュラン三ツ星二年連続を獲得した「祇園さゝ木」の佐々木浩氏に、コロナ禍における京都の飲食業界への影響と取り組みについて聞きました。
--------------新型コロナウィルスの世界的な流行は京都の経済に深刻な影響を与えました。 先が見えない中での営業だったと思いますが、どのような対応をされていましたか。
従業員は「籠の中の鳥」状態で徹底的に感染予防
緊急事態宣言中は入っていた予約はほとんどキャンセルとなり、売り上げは去年の半分以下にまで落ちました。緊急事態宣言が解除されてからはV字回復で満席が続いてほっとしましたが、これまでに経験したことのない事態でしたね。
4月はフランスへ出張予定で段取りしていましたが、それもキャンセルになりました。店を休業しようかとも思ったのですが、「今店を閉めたらどうする?」と従業員たちに聞いたら、みんな実家に帰ると言うんです。万が一、県をまたぐ移動で従業員がコロナに罹ってはいけないと思って、急遽、「よし、みんな仕事するぞ!」と、お弁当を販売することにしました。そうすると、600個も発注をいただいて、結局2日間は寝る間もないほど大忙しに。その後3日間は休みにしたんですが、その間も従業員は店と寮の往復以外は一切外出せず「籠の中の鳥(ステイホーム)」状態でした。店の冷蔵庫を肉や野菜でいっぱいにして、みんなでそれを食べながら、普段できない所の掃除をしたり勉強をしたりして過ごしていました。
--------------お弁当といえば、4月、5月には医療機関にお弁当を届ける活動をされたと聞きました。
24時間体制で働く医療従事者の方々を元気にしたい!
うちの常連さんにお医者さんがおられて、こんなことを耳にしたんです。病院の中の食堂は4時に終わる。緊急搬送で患者が運ばれる中、24時間体制で働いていると、夜中の2時、3時にお腹が空いてくると。医療崩壊が懸念されていた時期でしたし、いつ自分たちもお世話になるかわからない。医療従事者の方々にはなんとか元気でいてほしいし、その力になれればと思って、すぐに常任理事をしている全日本・食学会に相談したんです。理事長の菊乃井の村田さんが、お弁当を地域の飲食店の方々に作っていただけば飲食店への営業支援にもなるのではとアイデアをくださり、結果的に医療従事者と飲食店の両方を支援する仕組みを作ることができました。
京都発信で手の洗い方やご飯の冷やし方などの全マニュアルを作り、容器と箸を配布して、京都、名古屋、岐阜、東京、九州、北海道で医療機関へのお弁当の無償提供が実現しました。6月に入ると食中毒の問題も出てくるのでプロジェクトは6月5日までとしましたが、混乱の最中、スピード感を持って対応できてよかったと思います。
--------------コロナで深刻な打撃を受けた飲食業界が一丸となって医療の現場を支援するという取り組みが行われていたんですね。 夏を過ぎてようやく通常営業に戻りつつあるとのことですが、現在、新人の教育についてはどのように進めておられますか。
親方に「ついていく」時代は終わった。若手は発想力の宝庫
教育については、ここ数年で考え方を変えたんです。昔のような親方を見て習うような時代は完全に終わっていて、「ついてこい!」の時代ではなくなりました。私自身、若い人の意見を聞くよう切り替えましたね。それは、5年ぐらい前からテレビや雑誌の取材が増え、物販も始めて忙しくなったのがきっかけです。このままでは妥協が始まる予感がしてどうしようかと考えていた時に、若手が作ったまかないのおかず食べて「これはいける」と思ったんです。それからは、まかないのおかずの中に引っかかるものがあれば、調理場で二番手と相談しながら変換して商品化することもあります。作った本人にとっても、それが刺激になるようです。その延長で、月に1回の勉強会では、若手が自分の料理を出す品評会をやっています。若い人のやりたい仕事を見て、それを私の経験値で変換させて商品にしていくと、新しい料理がどんどん生まれるんです。それはみんなで一緒に料理を革新していくということ。それを始めてから、若手のモチベーションが上がったと思います。
--------------祇園さゝ木は、京都の日本料理のイメージを覆して「佐々木劇場」や「美食のエンターテイメント」と表現されることも多いですね。
参考にしているのは、矢沢永吉さんのコンサート
うちのカウンターは11メートル、17席あるんです。そこが私たちの舞台です。そこでは私が主役かも知れないし、お客さんにとっては二番手、三番手が主役かも知れない。誰が主役でもよくて、みんなが笑顔で気配りのできる舞台づくりに努めています。この仕事はお客さんを楽しませること、それに尽きると思っているので、「劇場型カウンター」と表現されるのはその通りかも知れませんね。
私は歌手の矢沢永吉さんが好きでコンサートによく行くんですが、永ちゃんは歌いながらお客さんひとりひとりに視線を合わせるんです。みんな「目が合った!」と喜んでいますよ。気遣いがあるんですよね。ロックと和食という分野は違えど、永ちゃんから学ぶことは多いです。
気遣いでいえば、お客さんが飲むお茶の傾き加減でお茶が少なくなっているのを察して声をかける。料理をしながらも端から端までお客さんの会話を聞いて、「次、何飲む?」と聞こえたら、呼ばれる前に「こんな酒がありますよ」といいタイミングで会話に入る。料理人は、そういう気遣いこそが大事だと思います。うちの若い子たちも私の背中を見て真似たりして、人の喜ばせ方を自然に学んでくれていると思います。
--------------矢沢永吉さんがお手本だったとは驚きました。 佐々木さんの「人を喜ばせたい」という強い想いの原点はどこにあるのでしょう。
おいしかったは80点。楽しかったら、100点。
それは、1軒目の店を持つときに借金を背負ったことが大きいです。今考えるとそう大きな金額でもなかったのですが、当時の自分にとっては死にものぐるい。「店をお客さんで満席にしたい!」と必死でした。それにはどうしたらいいのかなと。料理屋がおいしいのは当たり前で、どこの料理人もいろんなパターンでおいしいものを考えています。その上を行こうと思ったら、「楽しかった!」と言わせるしかないと。楽しかったと言って帰った人は必ず戻ってくる。ファンを増やすということですね。ファンになってもらうには、「おいしい」を超えて、楽しくて快適でないといけないんです。そういう店づくりをしています。だから、私にとってはお客さんの「おいしかった!」は80点。「楽しかった!」が100点です。
--------------最後に、料理の道へ進もうと頑張っている学生のみなさんにメッセージをお願いします。
あんパンには必ず餡が入ってる。餡が出るまで食べ続けろ!
まず、この世界に入ってくる人は料理が好きで入ってきてほしいです。日本料理でもイタリアンでもなんでもいいから、料理が好きであってほしい。
私は、小学2年生のころパイロットになるのが夢でした。でも5年生の時に「この通知簿ではなれない」とわかって、早々に夢破れました。その後は落ちこぼれで何の目標もなかった。両親が仕事で留守にすることが多かったので祖母に育てられたんですが、その祖母が亡くなってからは完全に鍵っ子になって、冷蔵庫にあるものでひとりで料理を作って食べていました。高校になって永ちゃんが好きになったら、そんな感じのやんちゃな友達ばかり家に集まってくるようになった。友達に焼き飯や味噌汁を作って出してあげていたら、3人が5人、5人が10人になって。気づけばみんなが笑顔で自分の料理を食べてた。その時、「こんな落ちこぼれの自分でも、人を喜ばせることができるんだ」と気づいて、料理人になることを決断したんです。
料理が好きなら、ぜひこの道をめざしてください。そして、その後は先人がいうように「石の上にも3年」です。もっとわかりやすくいうと‥‥。あんパンを食べた時に、ひと口で餡が出てこなかったら腹が立つでしょう。2口目でも出てこなかったら、もっと腹が立つ。でも、4口目、5口目でやっと出てきたら、ものすごく嬉しいはず。だから、パンを食べ続けろ。餡が出てくるまで。餡が見え隠れしてくると仕事は楽しくなる。いつ餡が出てくるかは自分次第だけれど、早ければ1年半で見え隠れしてくる。頑張れ!