プロフィール
奈良岡和也氏
1983年3月18日、青森県弘前市生まれ。
企業のデジタルコンサルティング「The Digital X合同会社」(https://www.thedigitalx.net/) 代表社員
−奈良岡さんはどんなきっかけで、専門学校に進まれたのですか?
始まりは「まだ働きたくない!都会に出てみたい!」
通っていた高校が実業高校で、農業・商業・情報処理・服飾など、色々な学科がありました。青森はそこまで大学進学率が高くないという事もあり、なんとなく「高卒で働くのかな」と考えていたので、それなら就職に有利な学科がいいと思って商業科を選びました。簿記やそろばんなど、専門的な授業もありました。
その当時はまだ「起業したい」とは思っていませんでしたが、何かのビジネスに関わりたいという興味はありました。今思うと、その頃から色々と繋がっていますね。
勉強以外だとバレーボール部に入部しましたが、入部1週間で体育館の縄張り争いに敗北して休部になってしまいました(笑)。 代わりに街で遊べるスケボーを始めました。
高校3年生になり、進路選択のタイミングで頭に浮かんだのは「まだ働きたくないなぁ」という事でした。当時はまだインターネットがそれほど盛んではなくて、情報源というと雑誌やテレビが中心だったので、東京や仙台など、もっと情報のあふれる大きな街で暮らしてみたくなったのと、働く時に専門的な知識があったほうがいいだろうと思い、まずは専門学校に進学しようということに決めました。
美容師や会計士などいくつか選択肢がありましたが、青森で生まれ育ったので授業があったり、姉がショップで働いていたりと、何かと馴染みのあったスノーボードに関連する東京アナウンス学院のスノーボードビジネス科に進学を決めました。
−専門学校ではどんな勉強をされていたのですか?
作るや売るじゃない「卸す」
学校ではショップ経営の仕方、仕入れの方法、海外からの並行輸入のやり方や、ゲレンデビジネスなどの授業がありました。商業科出身なこともあって、授業内容には馴染みやすかったです。ディガーと呼ばれる、スノボやスキーのコースを作る技術者のクラスがあったりもしましたね。
最初はショップの店員やリゾートで働くことを漠然とイメージしていましたが、作ったり売ったりする以外にも「お店に卸す」という仕事があることに気付きました。そんな発見もあり、メーカーからスポーツショップに卸す仕事が面白そうだな、と思うようになりました。
−働きはじめて、どんな経験がありましたか?
社会人は理不尽だけど新鮮
専門学校卒業後、学生時代からインターンをしていたスノボ・スキー用品のメーカーに就職しました。全国の小売店やバイヤーに、来年モデルのサンプルを持ってプレゼンする仕事です。1月〜4月あたりの冬シーズンは繁忙期で、北は北海道から南は福岡まで、全国のスキー場に会社のバンで周りました。
一番勉強になったことは「コミュニケーションのとり方」ですね。体育会系の会社だったので「世の中って理不尽だなぁ」ということも学びました。先輩より遅く帰れ、早く来いみたいな(笑)。体育会系の出身でもなかったので、ある種新鮮な経験でしたね。
ただ、業界トップクラスのメーカーにいたのに、毎年売上が20%くらいづつ下がり、3年で売上は半分ほどにまで下がってしまっていたんです。そんな中、先輩社員が突然クビを言い渡されているのを目の当たりにしたりして、10年単位で将来を考えた時にずっとこの業界で働くのは難しいかもしれないと考えて、それなら今後どんどん成長する業界で挑戦しよう!とインターネットの世界に飛び込みました。
−業界をチェンジしたあと、どんなキャリアを歩まれたのですか?
モバイル系のマーケティングがしたい!
転職後はインターネット広告を販売する会社やポータルサイトの運営会社など、色々な会社でインターネット関連の仕事をしました。
3社目に入ったインターネットサイト運営会社で、広告代理店や企業に広告を販売する広告営業をしていました。ただそのサイトの大本が大手のレンタルビデオ業だったこともあり、あまり広告っぽくない仕事だったんです。
今後の自分のキャリアを考えた時に、もっとモバイル系広告の方面に転換したいなと思って再度転職。次に入った大手通信事業会社の子会社で、広告商品の開発・企画などマーケティングの仕事にキャリアを変えました。グループの再編で転籍したりと色々ありましたが、この会社でデジタル広告の商品企画やプロダクト改善、アプリ広告など、デジタルマーケティングに関わる仕事の経験を積みました。
−留学されたとお聞きしましたが、なぜ留学を決意されたのですか?
初めての挫折と親友の死で感じた「悔いのないように」
ある時、台湾のお客様を担当することになりました。しかし、結果としては日本進出があまり上手くいかなかったんです。
コミュニケーションがお互い全て英語だったので、上手く伝わらなかったり理解出来なかった部分があって。もっとちゃんとコミュニケーションがとれていたら上手くいったのかな、と落ち込みました。そこで初めて仕事に壁を感じました。全然通用しないんだ、と挫折しましたね。
しかも、そのタイミングで親友が病気で亡くなってしまって。本当に人生何があるか分からない。生きているうちに後悔しないようにやり尽くしたほうがいいなと思って、思い切って仕事を辞め海外留学することに決めました。あの期間は人生観が変わる体験が詰まっていましたね。
−留学生活はどうでしたか?
正直、上手くいかないことばかり。カギは、それを楽しめるかどうか。
まずはフィリピンに半年間語学留学し、本当に人生で一番勉強しました。毎日寝る以外はずっと勉強する勢いで、半年間で1300時間。ようやく目標にしていたオーストラリアのカレッジに入れるレベルまで達することができました。
オーストラリアに移り、シドニーでマーケティングのカレッジに行きながら、日本食レストランの厨房や、雑貨店のレジでアルバイトしていました。
ただ、あんなにも勉強したのに、シドニーでは全然英語が通じずに悩みました。これまでは会話の相手が先生だったので、拙い部分があっても聞いてくれました。でも本場になるとそうじゃない。悔しかったですが、とても鍛えられましたね。
現地で生きていくためには自分がフィットしないといけないので、毎日必死に勉強しました。正直上手くいくことなんて1つもないので、それを楽しめるのか楽しめないか、がカギだと思います。その経験があったから、日本に帰って来た時、とにかく全てがスムーズだなと思いましたし(笑)
−カレッジを出られたあとは、どんな経緯で起業されたのですか?
コロナのせいで事業終了、でもコロナがきっかけで起業。
オーストラリアのカレッジを卒業したあと、マレーシアのクアラルンプールでデジタル広告の会社に入りました。1年間、新規事業を立ち上げたり現地法人の代表になったり。その後、タイでデジタルマーケティング会社のカントリーマネージャーに就任したのですが、そんな矢先にコロナが流行し、事業が立ち行かなくなってしまいました。
日本に帰ろうかとなった時に初めて「起業しようか」と考え始めました。周りに経営者が多かったこともあって、自分でやってみようかなと思い、2020年7月、地元の青森県弘前市にて「The Digital X合同会社」を創業しました。
−色々なご経験をされていますが、過去と今を比べるとどうですか?
過去よりも、今は全てが「自分ごと」
30歳前半とその後で、まだ10年も経っていないのに見えている景色が全然違います。今のほうが圧倒的に楽しんでいます!
海外に行く前は、何かと「他人ごと」にしている部分が多かったのですが、今は全部が「自分ごと」。自分で人生を選択し出来る事で、人生を自ら充実させられています。
今後の目標でいうとThe Digital Xももちろんですが、もう1つ手掛けている、デジタル人材の副業マッチングプラットフォームをどんどん大きくしていきたくて頑張っています。まだまだこれからです!
−これからキャリアを選択していく若者にメッセージをいただけますか
どうせ変わる未来まで、どう過ごすかは自分次第。
とにかく、興味があることは何でもチャレンジしてみるべきだと思います。新しいチャレンジは何歳からでも出来ます。その時その時で、自分がベストだと思ったことを一生懸命やりきることが大事です。
未来は予測不可能。何かをしてもしなくても、絶対に変わります。大切なのは、そこに至るまでにどういうプロセスを踏んだのか。たとえ失敗したとしても、チャレンジしたことはいい経験になります!