株式会社菊乃井
代表取締役社長 村田吉弘氏
(プロフィール)
京都・祇園の料亭「菊乃井」二代目の長男として生まれる。立命館大学在学中、フランス料理修業のために渡仏。大学卒業後、名古屋の料亭で修業を積む。93年菊の井代表取締役に就任。2004年日本料理アカデミーを設立し、2007年にNPO法人化。2018年に黄綬褒章受章し、文化功労者に選出される。
ミシュラン三つ星の常連で日本を代表する料亭「菊乃井」。店主の村田吉弘氏は2013年の和食のユネスコ無形文化遺産登録に尽力するなど、日本食を世界に発信する業界の改革者でもあります。グローバル社会における日本食の展望と飲食業界のあり方について聞きました。
--------------新型コロナウィルスの世界的な流行で時代は大きく変わろうとしていますが、京都の飲食業界に与える影響はどのようなものでしょうか。
豊臣から徳川、徳川から明治維新。時代は変わるもの
宴会のお客さんが多い本店はやはり厳しかったですが、コロナ以前からお取り寄せなど物販にも力を入れていたので、そちらの売り上げはグンと伸びました。本店も7、8、9月はほぼ戻っているけれど、宴会は当分少ないでしょうし、もう昔のようにはならないでしょう。
しかし、料理屋というものは、時代がどう変わろうがいつも町衆の生活とともにあるものです。豊臣の世と思っていたら急に徳川の世になって、徳川の後には明治維新が来たけれど、いつの時代も、町衆が初めて料亭に来るのはお宮参りから始まって、お食い初め、七五三、大人になって結婚が決まったら両家の顔合わせや婚礼、喜寿のお祝い、米寿のお祝い。それが普通の人の日々の生活です。世が変わっても変わらず町衆の生活の中にあるということが京都の料理屋らしいように思いますし、長い目で商売を考えるとそれが一番強いんです。
そのために、これまでも金額設定や予約の取り方などに工夫をしてきました。具体的には、普通の人が普通に働いておばあさんの喜寿のお祝いに連れてきてあげられるような金額設定。そして、今「予約の取れない店」が流行っているけど、「予約の取れない店」にしない工夫ですね。うちはお客さんが食べたい時に来られるように1ヶ月以上先の予約は取らないことにしています。店としては3ヶ月先、半年先まで予約を取ると楽なんですが、お客さんからしたら3ヶ月先に食べたいかどうかなんてわからないでしょう。食べたいと思った時に食べられる店でないといけないと思うんです。暖簾をあげて商売をするということは、「公益性を持つ」ということですから。京都では料亭のことを、親しみを持って「さん」を付けで呼ぶんです。「今度、菊乃井さん行くねん」と。
--------------なるほど。100 年を超える歴史があるからこその言葉ですね。村田さんは、「町衆のための料理屋」であることを大切にしながら、日本食の世界への発信にも尽力されています。
フランス人に「自国が認めてないものを世界文化遺産にしたいのか」と聞かれたわ
2007年に「日本料理の世界的な発展」と「次世代の日本料理への貢献」を目的としたNPO法人日本料理アカデミーを設立しました。会員の3分の2は日本料理人、3分の1は学者です。2011年に日本料理アカデミーから日本料理をユネスコ無形文化遺産に登録するよう京都府へ要望書を提出して、2012年にユネスコへ登録申請し、13年に登録が決定したんです。
パリのユネスコ本部には何回も足を運びましたよ。最初はフランス人に「自国が文化と認めていないものを世界文化遺産にしたいのか」と何回も言われて。「はい」と答えたけどな(笑)。
本当にたくさん壁はありました。「それらの文化を牽引する国が定めた人及び団体があるか」「それらの文化を維持発展させる組織があるか」といった法律的な条件を満たすために、京都府知事に相談してできたのが京都府立大学の京都和食研究センター。今は京都府立大学には和食文化学科があり、立命館大学には食マネジメント学部があります。また、龍谷大学農学研究科博士課程では「一子相伝京の味なかむら」の中村さんや「木乃婦」の髙橋さん、「直心房さいき」の才木さんなど京都を代表する料理人が5人も所属していて日本料理についての研究をしています。
--------------世界文化遺産にするためには、日本料理を学問として確立する体制作りから取り組む必要があったのですね。
「一子相伝」のはずが「一子総伝」になってしまった!
日本料理を学問にすることによって料理人の地位は上がったと思いますし、ユネスコの世界無形文化遺産への和食の登録により、世界の和食店は5万6000軒から16万8000軒にまで増えました。日本料理が世界に出て行っているということですね。今後世界へ発信する機会は今後ますます増えていくでしょう。
龍谷大学のドクターの5人は日本料理についての論文を英語で書くので、彼らは英語で日本料理を説明できますが、「勘」や「経験」は世界に伝わらない。日本料理を正確に伝えていくためには、それらを数値にしていかないといけないんです。これまでのように、「さっと入れる」「そこそこ」「ひとつまみ」では伝わりません。
彼らは「瓢亭」の14代目で85歳の高橋さんの鮎の焼き方を分析しておいしさの理屈を分析して解明したり、「一子相伝」の中村くんなんて、一子相伝のぐじの焼き方をみんなに言ってしまって、「一子総伝」になってしまった!でも、これからはそうやって伝統の技を世界や次世代に伝えられるようにしていくことが大切なんです。
--------------日本食が世界に出ていく中で、次世代の日本料理人の育成についての意見をお聞かせください。
自分の師匠でも疑え。わからないことはぶつけなさい。
日本料理が世界に出ていくとなると、国内の料理人は頑張らないといけない。将来、「日本の日本料理よりも上海の日本料理の方がおいしい」ということのないようにしないと。そのためには、人を育てないといけません。
昔のような「そんなこと聞くのは10年早い」みたいな教え方では人は育たない。私は学生の頃フランスにいたけど、「料理を作ることは考えること」と言われていました。「自分の師匠でも疑いなさい、わからないことはぶつけなさい」と。そしてぶつけても論破されることで、師匠を認めていく。だから、「これは何度で?」と聞かれて、「俺の経験と勘で」とか「昔からそうや」と答えるような教育では話にならないと思う。
日本は労働時間が1日8時間、週休2日と決められているから、料理人として技術を上げていくには、正直時間が足りません。アスリートと同じで自主練習が欠かせないけれど、教える側も、きちんと論理的に伝えられるようにしないといけないと思います。
--------------日本料理を学問として落とし込み、論理的に伝えていくことが人を育て、伝統を守ることにつながるということですね。
「伝承の技」とかいうけど、伝承技なんて意味ないねん
「伝統を守る」には改革が必要。だって、100年前の大根と今の大根は違うでしょう。100年前のは辛くて硬いけど、今のものは生でもジューシーで甘い。「素材を見て料理をする」のと「伝承の技を使って」は実は矛盾しています。素材が変わったらやり方を考えるのが料理で、単なる技術の伝承で料理はできない。常に改革しないといけないんです。ごまを擦るのも、すりこぎとすり鉢でやったら何時間もかかるけど、フードプロセッサーでやったら7分やん(笑)。
人間には2タイプあって、改革する人間とその通りにやっていく人がいる。リーダーこそ、新しいことを考えて、次の時代がどうなっていくのか考えないと。
「一粒の麦、地に落ちて命あらば一粒にあらず」。これが革命の精神。一粒の麦でも命があれば一面の麦畑になる。調理場でコツコツやるのも自分らの仕事。業界や世界を変えていくのも自分らの仕事です。
--------------最後に、飲食業界をめざす学生さんに応援メッセージをお願いします。
最良の人間性が最良の料理を作れる可能性である
若い人は、うちにも毎年15人ぐらい入ってきます。学校でトップクラスの人がよく来るけれど、学校には不良をくれと言っています。どこの世界でも根性入れ替えた不良が役に立つ(笑)。パッションのある人に来てほしいということですね。うちの店は、アジア一星を取ってる店。ここには、世界中のそうそうたるシェフが学びに来ます。フランス料理の人間だから日本料理は関係ないとか、そんな世界ではありません。ほかの国の料理はもちろん、料理以外の本を読んだりいろんなものを見て、どれだけ勉強するかで作る料理が変わります。
そして、一番大事なのは人間性です。焼いたものを炊いて油であげてもおいしいものはできない。「どうして食べたら一番美味しいか」と思いやる気持ちがおいしい料理を作ります。料理という字は、「理(ことわり:物事の道筋)を料る」と書く。「理を料る」とは、気温や天候、素材、食べる人によって料理や調理法を変えたりするということです。そういうことが身についた料理人になってほしいです。「愛情ほどまずい料理はない」と誰かが言ってたけどそれは嘘で、料理は愛情がなければ作れません。